山砲兵第33連隊

(通称号:弓6825部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
仙台および高田 昭和14年 第33師団 タイ

武昌漢口地区の警備にあたる。
昭和16年、中原会戦に参加。
昭和17年、ビルマ進攻作戦に参加し、その後、中部ビルマの警備にあたる。
昭和19年、インパール作戦に参加し、本作戦で20門近くの火砲を失う。
昭和20年6月、モールメンに後退し、さらにタイへ移動して、同地で終戦を迎えた。





鎮魂
第33師団
山砲兵第33連隊之碑
平成3年3月10日建立

栃木県護国神社




(平成22年10月14日)

【碑文】

山砲兵第三十三聯隊は弓第三十三師團の師團砲兵として昭和十四年仙台及び高田において東北各県新潟県茨城県栃木県群馬県長野県の出身者をもって編成され中国江西省に出征
その後北関東及び長野県出身者を主とするよう変更され揚子江南及び黄河北方の大小の作戦に参加
昭和十六年暮から終戦までタイ国上陸後ビルマ進攻作戦インパール作戦イラワジ会戦等の苛烈な作戦に参加
輝かしい弓師團の戦斗に貢献しました
この間には一八九六名の戦友が尊い生命を捧げた事は痛恨の極みであります
ここに故友の遺烈を後世に傳える為この碑を建立します

平成三年三月十日
弓六八二五部隊山砲兵第三十三聯隊戦友会






軍馬慰霊
山砲兵第三十三聯隊
(栃木県護国神社)




(平成22年10月14日)

【碑文】

軍馬は かけがえのない 我々の戦友であった
召されて故国を出て 中国大陸の南に北に ついでタイ ビルマ インドと多くの作戦に参加し 重い火砲や弾丸を負い 暑さ寒さひもじさに堪えて働らいてくれた
この間弾丸に倒れ 或いは糧食の欠乏と豪雨とにより 多くが戦陣に死し、戦い敗れて一頭も故国に帰ることなく 悉くが南方の土に帰した
ここに万斛の涙とともに 聯隊千三百頭の無言の戦友の霊を弔う

平成九年三月十日
山砲兵第三十三聯隊戦友会






英霊顕彰碑

山砲兵第三十三聯隊第四中隊
(栃木県護国神社)




(平成22年10月14日)

【碑文】

戦友の霊に

国破れて山河あり 先の大戦が終結し 五十年の星霜は緑の大地は蘇らせることはできたが 異境に眠る御英霊への思いは愈々つのるばかりである
時の流れと共に戦争の悪夢は次第に風化されたとは言え 戦争体験者にとっては脳裏に焼き付いた心の痛みは永遠に消えることはない
懐古すれば 長い歴史と伝統を誇る我が国は 千古の昔から瑞穂の国を標榜する住みよい国である
然るに昭和の時代に至るや俄かに世界の風雲急を告げ 世界第二次大戦が勃発するところとなり 米英を始めとする諸国連合は我が国に経済封鎖の包囲網を繞らし強圧したるも大和民族は断じてこれに屈せず国家の存亡を賭けて総決起し 万止むなく大東亜戦争開戦の悲運となる
この時代に生を享けた我等青年は 青春の全てを捧げ国難に立ち向かうべく 従容として戦地に赴き 幾多の戦線に従軍する
かくして緒戦を飾ることはできたが 凄惨苛烈な死闘に国力の差を乗り越え幾百万の同朋は尊くも■牲という人類最悪の悲劇を蒙り終戦を迎える結果となる
思えば 今なを戦友の多くは 中国の広野に万里異境のビルマの地で そして白骨街道のインパール(印度領)の果てに無念の涙を流し 当地の守護神と化して山野に眠っている
九死に一生を得た私共は 祖国再建と平和国家実現に最善を尽すことが亡き戦友への供養であろうと確信し その道を歩み続ける
今や日本は苦難の道を乗り越え 戦争を放棄し 自由と平等の下 教育文化は言うに及ばず経済大国として世界に誇示する迄に至る
これぞ まさしく悠久の大義に殉じられ 平和の礎となられた御英霊の賜である
この時に及んで中隊戦没勇士の御尊名を深く刻み ここに顕彰の碑を建立し その偉業を声を大にして子子孫孫に伝えんことを我等一同お誓いするものである

平成八年(一九九六)五月十六日

復員五十周年記念日建立
    弓山砲山四会生存者一同




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