(通称号:撃12105部隊)
戦車第2師団工兵隊の碑 (群馬県館林市・茂林寺境内) (平成16年9月12日) |
碑文
戦車第2師団工兵隊は撃第12105部隊とも言う
太平洋戦争末期昭和19年8月師団主力と共に防衛のため満洲よりフィリピンに渡った
20年1月アメリカ軍のリンガエン湾上陸によって師団は大本営命令による方面軍のルソン島における持久戦のために物資集積及び陣地構築の掩護並びに■数万邦人保護のため全滅を覚悟し全軍の犠牲となって圧倒的優勢なる敵の進撃を食いとめた
然しその任務を終わったときには将兵の半数と兵器の大部を失った
3月方面軍陣地の一部として敵主力の殺到するサラクサク峠に戦った
物資の不足は射ったまもなく食うものもなく肉弾をもって度々敵を撃退しその進撃を断念せしめたが5月末ついにこの山中に全滅した
将兵死に臨み家族の幸福を願い国家の将来を案じ日本民族の発展を念じつゝ南国の密林に散華したのである
こゝにサラクサク峠の土を迎え碑を建てつゝしんで英霊を祭る
昭和35年8月15日
一隊員自撰自書而建立
※■は文字が削られていた部分です。
※碑の裏には戦没者英名が刻まれています。
「戦車第2師團戦歿者遺骨埋葬之地」の碑 (手前の石碑) 横浜市 故齋藤三郎兄齋藤市郎兄弟建之 |
茂林寺 (群馬県館林市堀工町) |
【戦車第2師団工兵隊】
昭和19年9月20日〜21日 サロマゲ附近上陸
昭和19年9月30日 ガパン集結
昭和20年1月9日〜2月8日 サンホセ作戦参加(クラーク、ウミンガン等)
昭和20年3月4日〜6月上旬 サラクサク戦参加
昭和20年6月上旬〜7月下旬 サリナスを経て北アンチポロ〜終戦
昭和20年9月16日 イブンにて武装解除
(参考:村田三郎平著 『最前線爆雷製造部隊』 風媒社 1977年第1刷)
(平成23年10月24日追記)
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