松雲禅師像 平成20年9月15日

松雲元慶 しょううん・げんけい

正保4年(1648年)〜宝永7年7月11日(1710年8月5日)


京都生まれの江戸時代前期の仏師。
寛文9年(1669年)に難波瑞竜寺の鉄眼道光てつげんどうこうのもとで出家。
諸国を行脚中、豊前国の羅漢らかん寺で、五百羅漢像を礼拝してその造立を発願。
江戸に下り、十数年かけて一群の像を完成させた。
東京都目黒の五百羅漢寺にその大半が現存。


松雲羅漢



松雲羅漢
(東京都目黒区下目黒3−7)





(平成20年9月15日)

松雲羅漢

天恩山五百羅漢寺の開基松雲禅師は、元禄年中、5代将軍綱吉公の生母桂昌院をはじめ江戸中の人びとから寄せられた浄財をもとに536体の羅漢像を彫刻し、本所五ツ目に五百羅漢寺を築いた傑僧である。
明治42年、下目黒に移転してきたのち寺は荒廃の一途を辿っていたが、多くのかたがたのご協力により、昭和56年、由緒ある五百羅漢寺を再建することができた。
この再興を記念し、彫刻家佐山道知氏に制作依頼して松雲禅師像を建立し、これを松雲羅漢と名づけて禅師の徳を讃えるものである。

昭和61年2月吉日
天恩山五百羅漢寺
貫主 日高宗敏 識

(碑文より)


五百羅漢寺



五百羅漢寺
(東京都下目黒3−20−11)





(平成20年9月15日)

羅漢寺
下目黒3−20−11

この寺は、元禄8年(1695)江戸本所に建てられた有名な寺でしたが、明治42年(1909)ここに移されました。
本堂および回廊に安置されている五百羅漢像は、元禄年間松雲元慶しょううんげんけい禅師が各方面から寄進を受けて、自ら彫刻したものです。
木造の釈迦三尊や五百羅漢等305体の像はそれぞれ姿の違った人間像として、巧みに表現されており、しかもこのような大型の像が多量に存在することは珍しく、近世彫刻史上注目すべき美術品といわれています。
昭和45年に東京都指定文化財に指定されました。
屋上にある銅鐘は安永3年(1774)、田中丹波守たんばのかみ藤原重行作で、他に類例のない特徴をもち、鉄牛禅師の銘を刻んであり、国の重要美術品として認定を受けています。

昭和56年5月
東京都目黒区教育委員会

(説明板より)

天恩山てんおんざん五百羅漢寺ごひゃくらかんじの歴史

当寺は元禄8年(1695)開基・松雲元慶が本所の地に創建した名刹で、開山は一切経を刻版した鉄眼道光禅師です。
もと京都の仏工であった松雲禅師は、江戸に出て十数年間の苦労の末、五百羅漢など536体の仏像を刻造して徳川5代将軍綱吉から山号と寺号を賜わり、また中興・象先元歴和尚は托鉢による浄財で大伽藍を建立、江戸の名所として安藤広重の錦絵にも描かれるなど、人びとから親しまれました。
しかし度重なる災害のため堂宇は倒壊、仏像も破損して再興のめどの立たないまま、明治42年(1909)現在地に移転しました。
境内には高浜虚子の句碑や原爆殉難碑などがあり、文化寺としても知られてきましたが、昭和56年5月5日、日高宗敏師によってようやく再興の悲願が達成され、歴史的遺産を保存する新時代の寺として生まれ変わりました。

合掌

(銘板碑文より)



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