(福島県いわき市平物見ケ岡)
平成20年4月26日
平城
織田、豊臣の後ようやく天下を取った徳川家康は、群雄への監視を強化し、幕藩体制の安定をはかったが、平城は、この政策に基づいて新築された城の一つである。
狙いは、仙台の伊達政宗を押さえることにあり、勿来なこその関を擁する磐城の地を選定したわけである。
家康の下命を受けた徳川譜代家臣の鳥居忠政は、この地に移封すると共に、12年の歳月を費やして見事な城を築きあげ、「磐城名物三階櫓、竜のお堀に浮いて立つ」とうたわれた。
鳥居氏の後、内藤氏、井上氏、安藤氏が続いたが、老中を務めた安藤信正に至って坂下門外の変が生じ、老中失脚はもちろん、減封という憂き目にあい、5万石の居城であった平城は、たちまち3万石の城に変わった上、6年後の慶長4年、戊辰戦争の際には、安藤方が自ら城に火を放って遁走した。
(参考:大類伸監修『日本城郭辞典』)
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丹後沢 (福島県いわき市平字旧城跡地内・丹後沢公園) 平城の堀跡 (平成20年4月26日) |
丹後沢の由来
平城は、1603年(慶長8年)鳥居忠正公が築城しました。
丹後沢はその内堀として築かれましたが、大雨が降って一夜のうちに内堀の堰が崩れてしまったということが三度も続きました。
そこで、菅波村(現平菅波)の箱崎丹後という人が人柱になり、これを完成することができたことから、その功績を称え命名されたといわれています。
その後、平城は内藤家、井上家、安藤家と引き継がれ、幕末に老中として活躍した安藤対馬守信正公が藩主の時、1868年(明治元年)に戊辰戦争により落城しました。
現在は、丹後沢公園の一部に当時の面影を残しています。
(案内板より)
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本丸跡(?) |
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平城・移築門 (福島県いわき市鹿島町御代・個人宅) (平成20年4月26日) |
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平城・移築門 (福島県いわき市鹿島町御代・個人宅) (平成20年4月26日) |
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