高橋泥舟 たかはし・でいしゅう

天保6年2月17日(1835年3月15日)〜明治36年(1903年)2月13日


幕臣の山岡家に生まれ、高橋家の養子となる。
兄の山岡静山に槍術を学び講武所槍術師範を勤めた。
遊撃隊の頭取として戊辰戦争では徳川慶喜よしのぶの警護にあたり、義弟の山岡鉄舟らと慶喜赦免に奔走した。
廃藩置県後は引退して書家として生涯を送った。
勝海舟、山岡鉄舟とともに維新の三舟と称される。


大雄寺


大雄寺

(東京都台東区谷中6丁目)

ここに高橋泥舟のお墓があります。



(平成15年6月26日)
高橋泥舟の墓



高橋泥舟之墓





(平成15年6月26日)

高橋泥舟墓
台東区谷中6丁目1番26号  大雄寺

幕末期の幕臣。
名は政晃。通称謙三郎。のち精一。泥舟と号した。
山岡鉄舟の義兄にあたる。
槍術の名人として世に称賛され、21歳で幕府講武所教授、25歳のとき同師範役となり、従五位下伊勢守に叙任された。
佐幕、討幕で騒然としていた文久2年(1862)12月、幕府は江戸で浪士を徴集し、翌3年2月京都へ送った。
泥舟は浪士取扱となったが、浪士が尊攘派志士と提携したため、任を解かれた。
同年12月師範役に復職、慶應3年(1867)遊撃隊頭並となる。
翌4年1月鳥羽伏見の戦のあと、主戦論も多かったなかで、泥舟は徳川家の恭順を説き、15代将軍であった徳川慶喜が恭順の姿勢を示して寛永寺子院の大慈院に移ったとき、ついで水戸に転居したとき、遊撃隊を率いて警固にあたった。
天保6年(1835)生まれ。
明治36年2月没。
勝海舟、山岡鉄舟とともに幕末の三舟といわれる。

昭和63年3月
台東区教育委員会

(説明板より)




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