戸田茂睡 とだ・もすい

寛永5年5月19日(1629年7月9日)〜宝永3年4月14日(1706年5月25日)


徳川忠長の付人・渡辺忠の子として駿府城内に生れる。
下野国黒羽に過ごした後、江戸に出て戸田氏の養子となる。
三河国岡崎藩本多家への仕官を経て、江戸の浅草や本郷に隠棲、風雅を事とした。
著書に、最初の江戸地誌『紫の一本ひともと』、堂上歌学の因習を攻撃した『梨本集』などがある。


戸田茂睡の墓



戸田茂睡の墓

(東京都台東区浅草・浅草寺)




(平成17年1月20日)

都旧跡 戸田茂睡墓

所在 台東区浅草2丁目7番31号 浅草寺奥山庭苑内
指定 大正8年10月

江戸時代の歌人。
はじめ戸田茂睡と称し、のち渡辺氏に改姓した。
名は恭光、通称は八兵衛、梨本庵または寒露軒と号していた。
徳川氏の家臣渡辺忠の第六子として、寛永6年(1629)5月19日に生れた。
伯父戸田藤右衛門に養われ、のち木戸忠国に仕えて3百石を給されていた。
延宝年間の末辞任し浅草寺の近くに居をかまえ、「梨本集」を編纂し和歌の制の乱れを正し、世に詠歌の派を立てた。
宝永3年(1706)4月14日、年78で歿した。
「紫の一本」「若紫」「隠家百首」「梨本集」などの著書がある。
なお
塵の世と思う心の積りては
身の隠れかの山となりける
とよみ、隠れ家の茂睡と時の人々に呼ばれていた。

昭和43年3月1日 建設
東京都教育委員会

(説明板より)




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