岡崎城 おかざきじょう

(別称:竜ヶ城・竜之城)

岡崎市康生町561・岡崎公園内


岡崎城 平成20年4月16日再訪問

「岡崎城」のパンフレットより

岡崎城の起源は15世紀前半まで遡る。
明大寺みょうだいじの地に西郷稠頼さいごう・つぎよりによって築城されたのがそのはじまりである。
その後、享禄きょうろく3年(1530)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称されるようになった。
天文てんぶん11年(1542)12月26日、徳川家康は、ここ岡崎城内で誕生した。
家康は、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごしたが、永禄えいろく3年(1560)の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死したことを契機に自立した。
ときに、19歳。
以来、岡崎城を拠点に天下統一という偉業への基礎を固めた。
元亀げんき元年(1570)、家康は本拠を遠江浜松(静岡県浜松市)に移し、嫡男信康を岡崎城主とした。
天正7年(1579)に信康が自刃したあとは、重臣の石川数正かずまさ、ついで本多重次しげつぐを城代とした。
天正18年(1590)に家康が秀吉によって関東に移されると、秀吉の家臣田中吉政よしまさが城主となるが、家康が江戸に幕府を開いてからは、譜代大名にここを守らせた。
江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、本多氏(康重系統)、水野氏、松平(松井)氏、本多氏(忠勝系統)と、家格の高い譜代大名が城主となった。
石高こそ5万石前後とすくなかったが、大名は岡崎城になることを誇りとしたと伝えられる。
西郷氏が築いた当初の岡崎城は、砦のようなもので、城域も現在の本丸程度であったろうと考えられるが、家康の頃までには近世の城郭としての原型ができあがった。
田中吉政は、大規模な城郭の整備拡張を行い、文禄元年(1592)に、城の東・北・西に総延長4.7キロに及ぶ総堀をつくった。
また、元和げんな3年(1617)本多康紀やすのりのときに、三層三階地下一階で、東に井戸櫓、南に附櫓をもつ複合天守閣が建てられた。
城郭の整備にともない東海道が城下に引き入れられ、慶長けいちょう14年(1609)には伝馬町ができて、岡崎は東海道有数の宿場町として繁栄するに至った。
明治維新を迎えると情勢は変わり、新しい時代には不用とされた城郭の大部分は明治6年から7年にかけて取り壊されてしまった。
このあとは、堀と石垣が昔日の面影をわずかに伝えるばかりであったが、岡崎の象徴である天守閣がないままではしのびないとする市民の思いは強く、昭和34年(1959)に、ほぼ昔どおりの外観の天守閣が復元された。
いにしえ、東海道を往来する旅人が仰ぎ見たであろうその姿を、今我々も眺めることができる。


(平成20年4月16日再訪問)

《岡崎城の歴史》

1452〜1455年(享徳元〜康正元)
  西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)、竜頭山りゅうとうざんに築城。
1531〜32年(享禄4〜5年)
  安城松平4代、清康、竜頭山の岡崎城へ移る。
1542年(天文11年)12月26日
  徳川家康、岡崎城内で誕生する。
1590〜1600年(天正18〜慶長5年)
  岡崎城主田中吉政、城と城下町を大改造、天守閣・惣構えの堀を築く。
1617年(元和3年)
  櫓をもつ複合天守閣に再建。
1871年(明治4年)
  廃藩置県、額田県ぬかたけん成立し旧城内に県庁設置。
  城址は県有地。
1873〜74年(明治6〜7年)
  城郭取り壊し、天守閣解体、礎石のみ残る。
  武家屋敷払い下げ。
1875年(明治8年)
  旧本丸・二の丸、城址公園となる。
1959年(昭和34年)
  岡崎城天守復元。
1962年(昭和37年)
  岡崎城跡約96,700uを岡崎市史跡に指定。
1982年(昭和57年)
  旧二の丸跡に、三河武士のやかた家康館開館。

(説明板より)

(平成20年9月27日追記)

歴代岡崎城主
西郷頼嗣よりつぐ(稠頼つぎより  
松平光重みつしげ  
松平信貞のぶさだ(西郷信貞)  
松平清康きよやす 1524〜1535
松平広忠ひろただ 1535〜1549
〜今川氏城代〜
徳川家康 1560〜1570
松平信康のぶやす 1570〜1579
〜徳川氏城代〜
田中吉政よしまさ 1590〜1600
本多康重やすしげ 1601〜1611
本多康紀やすのり 1611〜1623
本多忠利ただとし 1623〜1645
本多利長としなが 1645承すぐ移封
水野忠善ただよし 1645〜1676
水野忠春ただはる 1676〜1692
水野忠盈ただみつ 1692〜1699
水野忠之ただゆき 1699〜1730
水野忠輝ただてる 1730〜1737
水野忠辰ただとき 1737〜1752
水野忠任ただとう 1752〜1762
松平康福やすよし(やすとみ) 1762〜1769
本多忠肅ただとし 1769〜1777
本多忠典ただつね 1777〜1790
本多忠顕ただあき 1790〜1821
本多忠考ただなか 1821〜1835
本多忠民ただもと 1835〜1869
本多忠直ただなお 1869〜1871
〜廃藩置県〜

(平成20年4月28日追記)


岡崎城





昭和34年に建てられた復興天守
鉄筋コンクリート三層五階です。





(平成14年9月14日)

岡崎城

天守閣は歴史資料館になっています。

天守閣(歴史資料館)
2階:「藩政と支配」
岡崎藩の藩政と農民の支配について紹介
武器・武具、藩領分布図、六手永支配図、藩政史料の展示
岡崎城の歴史を映像で紹介
3階:「城下町の文化と産業」
江戸時代に城下町、宿場町として栄えた岡崎の産業・文化、人々の生活を紹介
八丁味噌関係資料の展示
ビジオラマ
4階:「城と城主」
江戸時代の岡崎城の様子を城郭模型で再現
歴代岡崎城主の紹介
市内に陣屋を置いた奥殿藩、大岡忠相ゆかりの西大平藩についての展示
5階:展望室


入館料:大人(中学生以上)200円 小人(5歳以上)100円
休館日:年末年始(12月29日〜1月1日) 


(平成14年9月14日))


岡崎城の大手門





岡崎公園の玄関としての大手門

平成5年3月完成




(平成14年9月14日)


徳川家康の銅像

徳川家康公銅像

昭和40年家康公350年祭を記念して岡崎公園内に建てられました。
彫塑家・高村泰正氏が製作

銅像の説明板より
天文11年12月26日(西暦1542年)岡崎公園内二の丸(現在の能楽堂)で生まれた。
幼少の頃人質として苦難の道をあるき、自立した後は全国統一をめざし、転戦を続け、慶長5年(1600年)天下分目の関ヶ原の合戦に大勝して、天下をおさめるにいたった。
以後持前の才能を生かし、全国統一の念願をかなえるとともに、徳川幕政300年の基礎をも作り、元和2年4月17日(西暦1616年)75才でこの世を去った。


本多平八郎忠勝の銅像





昭和57年に建てられた本多平八郎忠勝公銅像

家康公の四天王の一人




(平成14年9月14日)


三河武士のやかた家康館





三河武士のやかた家康館

岡崎公園内にあります。


(平成14年9月14日)
三河武士のやかた家康館
家康公と彼に仕えた三河武士たちの人間像を中心に、数多くの史跡や文化財などをわかりやすく展示されています。
1階:展示室・特別展示室・ビデオルーム
地階:常設展示室
(8つのテーマ)
1.三河武士の源流
2.室町幕府と三河武士
3.松平氏の飛躍と譜代家臣の形成
4.出生から人質時代
5.家康の三河武士
6.武田氏との抗争14年間
7.豊臣政権と家康
8.江戸時代の基を築いた家康


入館料:大人(中学生以上)350円 小人(5歳以上)200円


(平成14年9月14日)


「三河武士のやかた家康館」には岡崎城以外のいくつかの城跡についてビデオによる紹介があります。
これは必見だと思います。
この施設の見学は、充分に時間を取ってご覧いただきたいと思います。


ミュージアム・ショップ

特別展 北国の雄 上杉謙信
昭和60年  岡崎市編集・発行
特別展図録 本多家とその家臣団 (付・本多家臣略系譜)
平成12年  岡崎市編集・発行
岡崎城〜城と城主の歴史〜
平成12年(第2版)  岡崎市編集・発行
特別展 鳥居元忠
平成11年  岡崎市社会部学芸課編集・発行
特別展 松平の族葉〜十四松平
平成14年(第4版)  岡崎市編集・発行
特別展 酒井忠次とその子孫たち
平成12年(第2版)  岡崎市編集・発行
岡崎史跡めぐり
岡崎市観光課・岡崎市観光協会
特別展 三河武士と家康の肖像
平成6年  岡崎市編集・発行
特別企画展 松平・徳川氏の寺社〜岡崎に残る遺産と歴史
平成12年  岡崎市美術博物館編集・発行

 (関連商品のご紹介)



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