平成20年8月27日
筑波海軍航空隊 ここにありき
1934年6月開隊
練習機による操縦教育開始
44年3月零戦による戦闘機搭乗員養成に任務変更
45年5月紫電戦闘機の実戦部隊となる
8月終戦
君は信じられるだろうか
ここを巣立った若人達が広域各地に勇戦敢闘しその殆どが南溟の空に散ったことを
また44年10月以降フィリピン・沖縄の作戦に数多の者が神風特別攻撃隊員として一命を捧げたことを
この地で編成し沖縄戦に出撃散華した筑波隊だけでも55柱を超える
ここに万感の愛惜をこめてその鎮魂を祈り且つは恒久の平和を念じてこの碑をたてる
1999年6月
筑波海軍航空隊関係者有志
用地は橋本二朗氏提供
(碑文より)
『筑波海軍航空隊 ここにありき』の碑 (茨城県笠間市旭町) (平成20年8月27日) |
格納庫跡地 (茨城県笠間市旭町・記念碑前の道の向こう側) (平成20年8月27日) |
左:800m道路 右:500m道路 | 800m道路(30m×800m滑走路跡) |
500m道路(30m×500m滑走路跡) | 700m道路(40m×700m滑走路跡) |
地下戦闘指揮所 (茨城県矢野下) (平成20年8月27日) |
地下戦闘指揮所内部 (平成20年8月27日) |
筑波海軍航空隊・隊門 (茨城県笠間市旭町654・県立友部病院) (平成20年8月27日) |
筑波海軍航空隊・隊門 (茨城県笠間市旭町654・県立友部病院) (平成20年8月27日) |
司令部庁舎 | 号令台 |
【筑波空】
もともとは筑波空は練習機の航空隊だったが、大分空を実施部隊の基地にするため、実用機教育の飛行隊を筑波へ移した。
そのため、筑波空の練習機飛行隊は築城ついきの航空隊へ移動した。
(参考:雨倉孝之 著 『飛行隊長が語る勝者の条件』 光人社NF文庫 1999年11月発行)
(令和2年5月16日 追記)
【紫電隊】
フィリピンで全滅した341空紫電隊のあとを受けて、昭和20年3月、筑波航空隊に戦闘402、403の両紫電隊が誕生した。
いずれも24機ずつの飛行隊で、関東地区に来襲するB29やP51を邀撃しながらの、訓練即実戦という毎日を送っていた。
この隊員たちは自分たちの隊を「奇兵隊」と名付け、「紫電」で勇敢に戦った。
四国の室戸岬方面に出没する敵機を邀撃するため、6月末に部隊は姫路に移駐。
ここで終戦を迎え、8月24日、可動全機による“納め”の飛行を行う。
その後、アメリカのマークで鮮やかに彩られた「紫電」3機が横須賀に空輸され、米軍の手に渡たされた。
(参考:碇 義朗 著 『最後の戦闘機 紫電改』 2007年1月発行 光人社NF文庫)
(平成26年10月14日 追記)
友部町立歴史民俗資料館 (茨城県笠間市平町29) (平成20年8月27日) |
特攻 |
部隊名 | 階級 | 氏名 | 出身県 | 出身 | 戦死場所 | 戦死日 |
第1筑波隊 (爆戦17機・鹿屋から出撃) |
中尉 | 福寺 薫 | 岡山 | 岡山師範 | 沖縄周辺 | 20年4月6日 |
中尉 | 石田 寛 | 岡山 | 岡山師範 | |||
中尉 | 末吉 実 | 福島 | 高松高商 | |||
中尉 | 石橋申雄 | 佐賀 | 東亜同大 | |||
少尉 | 伊達 実 | 岡山 | 大坂専 | |||
少尉 | 福島正次 | 東京 | 盛岡高工 | |||
少尉 | 大田博英 | 鳥取 | 鳥取師範 | |||
少尉 | 斉藤 勇 | 北海道 | 早稲田大 | |||
少尉 | 鷲尾 侃 | 新潟 | 早稲田大 | |||
少尉 | 金井正夫 | 群馬 | 仙台高工 | |||
少尉 | 椎木鉄幸 | 岡山 | 日本大 | |||
少尉 | 山口人久 | 三重 | 日本体専 | |||
一飛曹 | 松本智恵三 | 広島 | 丙飛10期 | |||
二飛曹 | 安田善二 | 宮崎 | 甲飛12期 | |||
二飛曹 | 村山周三 | 長野 | 丙飛12期 | |||
二飛曹 | 河村祐夫 | 山口 | 甲飛12期 | |||
第2筑波隊 (爆戦3機・鹿屋から出撃) |
中尉 | 熊倉高敬 | 栃木 | 専修大 | 沖縄方面 | 20年4月14日 |
少尉 | 一ノ関貞雄 | 青森 | 横浜専 | |||
二飛曹 | 新井利夫 | 兵庫 | 甲飛12期 | |||
第3筑波隊 (爆戦7機・鹿屋から出撃) |
中尉 | 中村秀正 | 福島 | 海兵73期 | 喜界島 南東50浬 |
20年4月16日 |
少尉 | 由井 勲 | 長野 | 長野師範 | |||
少尉 | 粟井俊夫 | 大阪 | 立教大 | |||
少尉 | 兼森武文 | 山口 | 早稲田大 | |||
少尉 | 石井敏晴 | 静岡 | 法政大 | |||
少尉 | 岡本真二 | 神奈川 | 日本大 | |||
少尉 | 山県康治 | 福岡 | 法政大 | |||
第4筑波隊 (爆戦5機・鹿屋から出撃) |
中尉 | 米加田節雄 | 熊本 | 海兵73期 | 沖縄 東方65浬 |
20年4月29日 |
少尉 | 大塚 章 | 東京 | 山形高 | |||
少尉 | 麻生攝郎 | 福岡 | 早稲田大 | |||
少尉 | 片山秀男 | 滋賀 | 大阪商大 | |||
少尉 | 山崎幸雄 | 東京 | 北海道帝大 | |||
第5筑波隊 (爆戦9機・鹿屋から出撃) |
中尉 | 西田高光 | 大分 | 大分師範 | 沖縄周辺 | 20年5月11日 |
中尉 | 岡部幸夫 | 広島 | 早稲田大 | |||
少尉 | 吉田 信 | 兵庫 | 東京帝大 | |||
少尉 | 町田道教 | 鹿児島 | 九州帝大 | |||
少尉 | 中村邦春 | 福岡 | 京都帝大 | |||
少尉 | 諸井国弘 | 奈良 | 国学院大 | |||
少尉 | 石丸進一 | 佐賀 | 日本大 | |||
少尉 | 福田 喬 | 福岡 | 早稲田大 | |||
少尉 | 森 史郎 | 長野 | 明治大 | |||
第6筑波隊 (爆戦14機・鹿屋から出撃) |
中尉 | 冨安俊助 | 東京 | 早稲田大 | 種子島 東方 |
20年5月14日 |
少尉 | 大木偉央 | 埼玉 | 宇都宮高農 | |||
少尉 | 大喜田久男 | 徳島 | 日本大 | |||
少尉 | 小山精一 | 東京 | 中央大 | |||
少尉 | 黒崎英之助 | 福岡 | 慶応義大 | |||
少尉 | 時岡鶴夫 | 兵庫 | 京都帝大 | |||
少尉 | 藤田暢明 | 徳島 | 東京農大 | |||
少尉 | 中村恒二 | 茨城 | 早稲田大 | |||
少尉 | 高山重三 | 愛知 | 同志社大 | |||
少尉 | 荒木 弘 | 愛知 | 東京帝大 | |||
少尉 | 本田耕一 | 兵庫 | 法政大 | |||
少尉 | 西野 実 | 石川 | 拓殖大 | |||
少尉 | 折口 明 | 長崎 | 専修大 | |||
少尉 | 桑野 実 | 京都 | 慶応義大 |
※ 爆戦とは・・・・
水面に水平に近く石を投げると何回か水面上を跳ねる原理を応用して、250kg爆弾を積んで、超低空、最高速度で敵艦に近づいて爆弾投下する攻撃法によった零戦をいう。
(参考:特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会編『特攻攻撃隊全史』)
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