第521海軍航空隊






第521海軍航空隊 鵬部隊 慰霊碑
(グアム島・南太平洋戦没者慰霊公苑)



旅日記

(平成21年3月19日)

第521海軍航空隊鵬部隊は昭和18(1943)年8月最新鋭双発急降下爆撃機「銀河」隊をもって開隊され、太平洋戦争の戦局まさに重大化のとき、米機動部隊との一大決戦に備えて、全海軍期待のうちに編成された。
19年4月から逐次グアムに進出、決戦城をパラオ近海と予測し、飛行機隊はペリリュウ、ハルマヘラに展開したところ、米軍は6月11日突如サイパン、グアムに大挙来襲。
わが鵬部隊は劣勢を顧みず、江草隆繁飛行隊長を先頭に死力を尽くして反撃、亀井凱夫司令以下グアム基地の将兵も又、米上陸部隊に肉弾戦を敢行し、遂に全員散華した。
ここにその勇猛果敢な殉国の死を悼み、これら崇高至純な英霊の精神が恒久世界平和の礎となるよう念願してこの碑を建立する。

1988年2月
鵬会 建之
元第1分隊長 河野 章 撰

(碑文より)


【第521海軍航空隊】

開隊:昭和18年8月20日
機種:(艦上爆撃機)・陸上爆撃機
最終所属:第1航空艦隊第61航空戦隊
解隊:昭和19年7月10日

「鵬部隊」と称した。
愛知県の豊橋基地で開隊し、第1航空艦隊に編入。
昭和19年2月、マリアナ諸島に展開したが、この時は陸爆のみ96機という。
マリアナ沖海戦のあと解隊された。

(参考:『別冊歴史読本 零戦と日本航空戦史』 新人物往来社 1996年11月発行)

(令和元年11月25日 追記)


【「銀河」飛行隊】

中島飛行機で量産が開始された「銀河」11型は昭和18年秋から実戦部隊への供給が開始された。
第521海軍航空隊は陸上爆撃機部隊として「彗星」と共に「銀河」を受領して来たるべき決戦に備えることとなった。

第521海軍航空隊・飛行隊長は「銀河」の開発にも参加していた江草隆繁少佐。
江草隆繁少佐は真珠湾攻撃の時から活躍し、「艦爆の神様」と称された大ベテランである。
開隊当時こそ「彗星」との混成だったが、11月からは「銀河」単独の部隊となった。

(マリアナ沖海戦・昭和19年6月11日〜)
中部太平洋の兵力を増強すべく、昭和19年4月からマリアナ諸島に進出。
昭和19年6月11日、米機動部隊がマリアナ諸島に来襲。
6月15日午後、江草少佐は「銀河」、「彗星」、「零戦」を率いて出撃。(初陣)
「銀河」隊10機は途中で分離し、8機がサイパン西方の敵機動部隊を雷撃。
1機が自爆し、7機は突撃まで健在で、魚雷を発射したようだが、全機が未帰還となる。
残る2機のうち1機は泊地の小型輸送船を雷撃し、グアムに着陸。(もう1機は詳細不明)
未帰還機の中には、江草少佐機が含まれており、少佐の戦死は全軍に布告され、二階級特進している。
6月16日、グアム島に着陸した山田五三飛曹長機がサイパン西方泊地の艦船を雷撃。
6月17日、2機の「銀河」がサイパン東方の空母を雷撃(1機が未帰還)
6月18日、「彗星」、「爆装零戦」と共に8機の「銀河」がサイパン周辺の艦艇を攻撃し、2隻の給油艦を損傷させた。(「銀河」7機が未帰還)
6月19日(マリアナ沖開戦初日)の早朝、1機の「銀河」を含む44機がサイパン周辺の艦艇を攻撃。
6月26日、グアムから出撃した2機の「銀河」のうち1機が敵手に落ちたサイパンのアスリート飛行場を攻撃、1機は貨物輸送艦『マーキュリー』に魚雷を命中させたが不発だった。
これが実質的な第521海軍航空隊の最後の戦いとなる。

昭和19年7月10日、海軍は航空隊の再編を行った。
第521海軍航空隊は解隊となり、521空の兵力を中心に攻撃第401飛行隊(攻401)が編成され、第761航空隊(761空)に配属された。

(参考:雑誌『丸 2013年4月号』)

(令和元年12月13日 追記)




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