(グアム島)
(南太平洋戦没者慰霊碑)
平成21年(2009年)3月19日 |
日程表によれば、今日は終日「自由行動」であるが・・・・
アメリカ側がバス1台を用意して島内観光の企画を用意してくれているというので参加する。
で・・・この島内観光・・・・我々だけでバス1台だった。
あらら・・・こりゃ有難い!
日本人だけのツアーなら気が楽だ。
お世話係は流暢な日本語を話すフリーランスライターの“キングさん”と元海兵隊員でベトナム戦争に従軍していた上級曹長の“ジョンさん”
「上級曹長ですか!ベテラン中のベテランじゃないですか!すごい!」と私は大感激したが・・・
他の日本人には「上級曹長」というのがどのくらいすごい人なのかピンとこないらしい。
“ジョンさん”は階級章の筋の本数を教えてくれた。
「1本、2本、3本、4本、5本・・・・」
「そうそう!すごい!すごい!」
私がやたらと褒めちぎったせいか“ジョン上級曹長”も御満悦。
「オニグンソウ!(鬼軍曹)」と日本語で笑う。
ちょっと怖そうな顔をしたゴツイ人だが、根は優しい人である。
ホテルのロビーで会った時はお互いに敬礼で挨拶する。
で・・・お互いに・・・・ニヤ〜ッ(笑)
さて・・・バス旅行出発!・・・・という時になって一人行方不明。
御兄弟で参加されている“オオツさん”のお兄さんの姿が見えないと弟さんが大騒ぎ。
兄の“オオツさん”は私の親父と同じ甲飛14期の同期生。
同じ偵察課程出身だが、親父は百里基地に残り“オオツさん”は特攻艇の特攻隊員として転出した。
班が違うのでうちの親父とは面識はないが、親父と同世代の方である。
さぁ、ついに迷子が出ちゃったぞ!
弟さんと“ハシモトさん”と一緒にホテル内を探すが見つからない。
で・・・・散々探し回って諦めてバスの所に行ったら・・・・
すでにちゃっかりとバスに乗っているではないか!
あれ〜???
散々探していることをバスに乗っている方には伝えてあるはずなのだが・・・・
誰も“オオツさん”がすでにバスに乗っていることを教えてくれなかったのだ。
それも無理はない。
お互いに全くコミュニケーションを取っていないんだから「“オオツさん”がいません!」と言っても、どの人が“オオツさん”なのか参加者は御存じない。
しかし・・・リーダーまでが知らん顔して乗っていたのには参った。
あ〜あ〜こりゃダメだぁ〜
とりあえず、どうやら全員揃っているらしいことを確認(?)してバスは出発!
まず最初に「南太平洋戦没者慰霊碑」に向かう。
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南太平洋戦没者慰霊碑のある公苑 |
「平和寺」という教会風の建物の中で般若心経を唱えお線香をあげる。
ここにきてようやく「慰霊」らしきものが出来た。
肝心な硫黄島では「慰霊」らしい「慰霊」ができなかったのは残念である。
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平和寺 |
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お線香をあげて、ささやかな慰霊祭を執り行う。 |
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南太平洋戦没者慰霊碑 |
碑文 |
昭和16年から20年にかけてくり広げられた太平洋戦争において、太平洋に散在する美しい島々で、50万余にのぼる日本人が戦没されました。 この他にアメリカ人をはじめ、平和に生活していた現地の人びとも、多くの犠牲者を出し尊い血を流しました。 ここ又木山々麓、今あなたが立っているこの場所も、昭和19年8月11日未明、グアム島を守備していた日本軍が、米軍と激しく戦った跡、小畑軍司令官以下多くの将兵が玉砕した悲しい思い出のある地です。 昭和40年、南太平洋戦没者慰霊団(団長・植木光教参議院議員)が、ミクロネシアおよびグアム島の戦没者を慰霊訪問した際、植木団長は、当地のオスカー・エル・カルボ神父と初めての出逢いをしました。 その折り、カルボ神父は、縷々戦争の悲惨さを語り、「戦後20年、今なおジャングルや岩かげに、斃れたままの姿で苔むす多くの日本人の白骨が散乱し、放置されているのは、誠に悼ましい。 なんとか早くこれらを収集して、懇ろに回向して葬ってあげたいと思っておりました。二人が力を合わせてやりましょう・・・・」と提案しました。 熱情あふれる言葉に感動した植木団長は、「それぞれの祖国に忠誠心を捧げて散華したすべての御霊を手厚く慰めると共に、日米両国の友好と世界平和に願いをこめたシンボルとなる記念塔をお互いの協力によって建てましょう・・・・・」と、賛意を表明し、二人は堅い握手をしました。 その後、幾多の困難がありましたが、両者の熱い友情と協力に支えられ、昭和45年5月ついにこの塔が完成しました。 塔の高さは50呎あって地下は納骨堂になっております。 デザインは慰霊と平和の願いを表わす合掌を型どりました。 この建設費と管理費は、すべて日本全国の篤志家から寄せられた貴重な浄財でまかなわれております。 われわれは、この平和慰霊公苑の建設によって、日米両国の戦没者の霊位が永遠のやすらぎを得、両国民の友情の絆が一層深まることを願っております。 |
財団法人 南太平洋戦没者慰霊協会 日本国東京都新宿区若松町18−3 |
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慰霊碑群 |
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第521海軍航空隊 鵬部隊 慰霊碑 |
参加者からの提案で「第521海軍航空隊」の慰霊碑の前で慰霊祭をやろうということになる。
我々は予科練の戦友会だからね・・・・・
そりゃいい・・・・
早速、ささやかな慰霊祭を執り行い・・・・慰霊碑に敬礼!
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第4気象隊戦没者の霊 |
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独立自動車第265中隊 慰霊碑 |
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歩兵第18連隊戦没者慰霊碑 |
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塚本清彦中佐の慰霊碑 |
碑文 |
陸軍省軍務局戦備課塚本清彦中佐は太平洋戦争たけなわの時戦局の将来と日本の前途を憂い 時の首相に対して戦争の終結と首相の退陣を要求した そして 即日戦禍のグアム島に転属せしめられ戦場の露と消えた 数日の後同志であった私も二等兵として比島に送られた それは昭和19年のことであった 生き残りの私は塚本清彦君の武人として愛国者として勇者としての生涯をたたえてここに南海の華と散った多くの戦友を偲びつつこの碑を建立す 昭和53年10月 松前重義 |
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第5海軍病院戦没者慰霊碑 |
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第13師団隷下先遣隊戦没者の霊 |
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グアム島戦没者慰霊碑 昭和49年7月21日 奈良聯隊会グアム島慰霊団 |
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青年会議所の慰霊碑 1987年度(社)日本青年会議所 会員開発室 洋上スクール 寄港地事業記念 |
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