(硫黄島)
(南海岸)
平成21年(2009年)3月18日 |
山を降り、次に向かったのが米軍が上陸した“南海岸”近くの「再会記念碑」
ここで日米合同慰霊祭が開催される。
現場に到着した時のこと・・・・
補助椅子に座っていた私は、急いで先に降りなければ・・・と立ち上がった。
と・・・・膝の上から一眼レフが・・・・ポロリと落ちて・・・・ガシャン!
あ〜!!!!やっちまったぁ!!!
迂闊にも膝の上に一眼レフを置いていたことを忘れて立ち上がってしまったのである!
レンズには傷はつかなかったが・・・・
レンズのリング部分が割れて壊れてしまった!
しまったぁ!
大ショックである!
レンズのリングが壊れてしまったのでピントが合わせられない・・・・
望遠も何もできない・・・・・
これからバチバチと撮りまくろうと思っていたのに・・・・・
あ〜ショックである!
念のため予備にコンパクトデジカメを持ってきていたのでそれで写真を撮ることにする。
あ〜あ〜重い思いをして今回の旅にわざわざ持ってきたのに・・・・・
一眼レフは何の役にも立たぬ“お荷物”となってしまった。
おかげでド〜ンと落ち込んで・・・・鬱!(涙)
式典までは少し時間があるので、“南海岸”を散策することにする。
海岸には破壊された日本軍の水際トーチカ陣地が残っていた。
海岸から少し内陸に入ったところで一生懸命砂を取っていた元海兵隊員と思われる方がおられた。
海岸の砂じゃなくて、ここの砂を取っているのには何か理由があるのだろうか?
戦友が戦死した場所がこのあたりなのだろうか?
遠くに見えるのが「南波止場」だろうか? 米第25海兵連隊第3大隊(約千名)が上陸した場所であろう。 「南波止場」あたりは独立歩兵第309大隊(粟津大隊)などの守備範囲だった。 粟津大隊は833名中800名が戦死し、33名が生還したという。 |
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私が立っている場所が「南海岸」の「翁浜」だろうか? その向こうが「二つ根浜」ということになるが・・・・ どこが境界線なのかよくわからない。 |
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この砂浜・・・・結構登るのがキツイのである。 現役海兵隊員も苦労しているようである。(笑) 当時の海兵隊員の追体験でもしているのだろうか・・・・ |
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上陸した米海兵隊員たちは日本軍の猛砲撃を受け、この斜面に釘付けとなった。 | |
ここから向こう(摺鉢山)へかけてが「二つ根浜」ではないかと思う。 鹿児島の歩兵第145連隊第1大隊(原光明少佐)の守備範囲である。 |
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目の前の丘の上にトーチカがあったが、警備の自衛官に制止され、近づくことは出来なかった。 |
この海岸でアメリカ海兵隊は多くの犠牲を出したのである。
この斜面にへばりついたまま一歩も前進できないくらい日本軍は猛烈な砲撃を加えたのである。
海兵隊に対して一時、「無用論」も出たが、この硫黄島での多大なる犠牲と貢献が海兵隊存続につながったと聞いている。
ということは・・・ここ硫黄島の南海岸はアメリカ海兵隊にとっては「聖地」でもあろう。
その海岸に日本人の拙者が立っている・・・・・
う〜ん・・・海兵隊員たちはどう思っているだろうか・・・・
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