歩兵第150連隊

(通称号:柏4656部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
松本 昭和12年 第52師団 トラック島

日中戦争の本格化により、特設の第140師団が編成されることにより、連隊編成の動員が下令された。
昭和12年10月18日軍旗拝受。
編成完結後の昭和12年10月22日、連隊は松本を出発。
11月10日には杭州湾に上陸し、第128旅団(奥旅団)を構成する高崎の歩兵第115連隊とともに前線に向かった。
12月10日から開始された南京攻略戦では、雨花門の一部を爆破し、城内に突入して他の部隊に先立って城頭に軍旗をひるがえした。
昭和13年2月、北支方面軍の隷下に転用されて保定付近の警備等に就き、その後、5月の徐州会戦に参加。
昭和14年9月、松本に帰還して軍旗を奉還して連隊は解隊した。

昭和16年4月、歩兵第50連隊が満州の遼陽に転出したため、連隊は再び動員下令され、5月21日軍旗を拝受。
緒戦の日本軍の作戦が順調だったため、連隊は昭和17年7月に臨時編成から平時態勢に戻る。
昭和18年9月、再度動員下令。
師団(第52師団)の一部はポナペ島に向かい、連隊の先遣隊は隣接するトラック島に向かった。
その後、第二次、第三次と逐次派遣。
連隊主力がトラック島に向かったのは昭和19年2月6日。
2月17日、連隊主力を乗せた船団がトラック島西北方エンダービー島の北方を南下中、米潜水艦や米艦載機の攻撃を受ける。
第1大隊乗船の暁天丸、第2大隊乗船の辰羽丸が沈没。
助かったのは第1中隊が乗船していた新京丸のみ。
この攻撃により、連隊は約700名の隊員と全装備を失いトラック島に辿り着いた。
その後、連隊には内地から補充兵が到着。
連隊は春島に陣地を構築し連合軍の上陸に備えていたが、ついに連合軍は上陸せず、守備隊は終戦を迎えた。
軍旗は8月22日、春島神社で奉焼された。


旧歩兵第50連隊跡碑



「旧歩兵第五十聯隊跡」碑
(長野県松本市美須々)





(平成20年10月25日)

碑文

明治38年4月歩兵第50聯隊編成
同月15日軍旗拝授
樺太出征台湾及韓國守備を経て明治41年(1908)松本兵営入城
大正年間満州守備西伯利亜出兵
昭和に入り満州守備済南満州日支各事変に参加
昭和16年満州移駐其後新に歩兵第150聯隊等編成
同年12月大東亜戦争勃発各隊前後して参加

同20年(1945)8月15日終戦解隊同時聯隊区司令部陸軍病院等亦廃止
入城後38年間入退営したるもの数萬戦没将兵数千に及ぶ
當初聯隊入城するや全市を挙げて歓呼之れを迎え爾来松本市は画期的変展を遂げるに至った
本碑の東南一帯旧陸軍用地十数萬坪であった
茲に発起人代表野口金一郎並細見惟雄外4千名記念碑を建て由緒を明にす

委員細見書

昭和33年4月29日建之


歩兵第150連隊(歩兵第50連隊)跡
松本美須々ヶ丘高校 信州大学

旧糧秣倉庫(信州大学内)


トラック島派遣

第1次派遣隊:昭和18年10月10日出発。
先遣隊長=第52師団副官、西沢熊夫大尉。
連隊からは山本七五三吉中尉が率いる40名が派遣される。

第2次派遣隊:昭和18年11月14日出発。
連隊からは太田幸一郎中尉が率いる建築関係の兵120名が派遣される。
(師団全体では550名)

第3次派遣隊:昭和18年12月24日師団主力の第一梯団として出発。
第3大隊(大隊長:小野茂少佐)が派遣される。
トラック諸島の春島の警備につく。

連隊主力:昭和19年1月27日師団主力の第二梯団として出発。
トラック島到着寸前の2月17日、米機動部隊のトラック島攻撃に遭遇。

連隊主力
連隊本部 連隊長 林田敬蔵大佐(熊本県)
副官 草間武一大尉(長野県南佐久郡)
旗手 伊藤邦文少尉(大分県)
主計 小竹万太郎大尉(宮城県)
軍医 門倉好文大尉(埼玉県)
第1大隊 大隊長 長沢省一郎少佐(長野県上田市)
副官 松林正直中尉(長野県小県郡)
第1中隊長 河本一男大尉(東京都)
第2中隊長 田中重雄大尉(長野県下伊那郡)
第1小隊長 小松中尉(長野県松本市)
第3中隊長 林市雄大尉(長野県伊那市)
第2小隊長 高木武彦中尉(長野県松本市)
第1歩兵砲中隊長 土屋弘大尉(長野県北佐久郡)
第2大隊 大隊長 北川博大尉(富山県)
副官 林慎敬中尉(長野県塩尻市)
主計 沢田正治主計少尉(富山県)
軍医 伊藤純文少尉(埼玉県)
第4中隊長 宮下磐夫大尉(長野県南安曇郡)
  小口平太郎准尉(長野県茅野市)
中隊長伝令 宮坂久雄一等兵(長野県松本市)
第1小隊長 小島健嗣少尉(長野県飯田市)
第3小隊長 荻上晃一郎少尉(長野県塩尻市)
(後任)第3小隊長 林文一郎少尉(不明)
第5中隊長 高野達郎中尉(山口県)
  木曾始重少尉(長野県佐久市)
第3小隊長 鈴木仲平少尉(長野県松本市)
第6中隊長 佐々木象男大尉(不明)
人事係 山田順吉准尉(長野県上伊那郡)
第2歩兵砲中隊長 山本敏雄中尉(富山県)
砲兵大隊 大隊長 師岡留多少佐(福岡県)
軍医 黒沢茂
第1中隊長 堤速男大尉(福岡県)
第2中隊長 鳥越三喜大尉(福岡県)
第3中隊長 渋谷大尉(福岡県)
通信中隊 西沢駿一大尉(長野県諏訪市)
補給中隊長 石川正雄大尉(石川県)
衛生隊 軍医 松井寛軍医少尉(東京都)
  武隈正夫薬剤少尉(富山県)

乗船配置
暁天丸
(6854総トン)
陸軍徴用拿捕船
連隊本部(連隊長・連隊旗・軍旗護衛小隊) 昭和19年2月17日
8−00N・149−17E地点にて
空爆により沈没。
第1大隊本部・第2中隊・第3中隊・第1歩兵砲中隊
その他の部隊・計約2000名と軍需物資
辰羽丸
(5784総トン)
辰馬汽船
第2大隊本部 昭和19年2月17日
トラック島北方にて空爆により沈没。
第4中隊・第5中隊・第6中隊・第2歩兵砲中隊
新京丸
(5139総トン)
大連汽船
山砲兵大隊本部 サイパン島へ退避。
のち、3月2日魚雷攻撃により沈没。
海防艦「天草」に移乗。
トラック島夏島に上陸。
師団直属中隊(第1山砲兵中隊・第2山砲兵中隊)
第1中隊・通信中隊・補給中隊・工兵中隊
師団直属野戦病院・計約2000名

護衛:第32駆逐隊・駆逐艦「藤波」(艦長:松崎辰治中佐)と海防艦2隻。
(連隊長、副官、軍旗(伊藤少尉)、軍旗小隊(野原中尉指揮)の1分隊、計23名が暁天丸から「藤波」に移乗する)

歩兵第150連隊再編成
連隊本部 連隊長 林田敬蔵大佐(熊本県)  
副官 草間武一大尉(長野県南佐久郡)
連隊付 河本一男大尉(東京都) (前・第1大隊第1中隊長)
旗手 牛山正雄少尉(長野県諏訪市)  
軍旗護衛小隊長 小山信雄中尉(長野県南佐久郡)
主計 小竹万太郎大尉(宮城県)
軍医 門倉好文大尉(埼玉県)
第1大隊 大隊長 長沢省一郎少佐(長野県上田市)
副官 松林正直中尉(長野県小県郡)
第1中隊長 伊藤邦文中尉(大分県) (前・連隊旗手)
第2中隊長 田中重雄大尉(長野県下伊那郡)  
第3中隊長 林市雄大尉(長野県伊那市)
第1歩兵砲中隊長 土屋弘大尉(長野県北佐久郡)
第2大隊 大隊長 山本敏雄大尉(富山県) (前・第2歩兵砲中隊長)
副官 小林正衛中尉(長野県上田市)  
第4中隊長 林憲一大尉(長野県岡谷市)
第5中隊長 小池元雄大尉(長野県松本市)
第6中隊長 岡村貞雄大尉(長野県南安曇郡)
第2歩兵砲中隊長 山本七五三吉中尉(長野県松本市)
第3大隊 大隊長 小野茂少佐(鹿児島県)
副官 (不明)
第7中隊長 馬場平大尉(東京都)
第8中隊長 金指多寿雄中尉(神奈川県)
第9中隊長 臼井光政大尉(不明)
第3歩兵砲中隊長 西村三郎大尉(神奈川県)
砲兵大隊 大隊長 佐々木大尉(不明)
副官 (不明)
第1中隊長 堤速男大尉(福岡県)
第2中隊長 鳥越三喜大尉(福岡県)
第3中隊長 渋谷大尉(福岡県)
通信中隊 西沢駿一大尉(長野県諏訪市)
補給中隊長 石川正雄大尉(石川県)

再編成
とりあえず南方前線用の被服や兵器を放出支給。
壊滅的な打撃を受けた第2大隊の再編成はなかなかはかどらなかった。
急遽、現地で出稼ぎの沖縄人を召集して不足を充足した。

新配備
夏島(師団司令部)=第1大隊は師団予備隊として夏島に陣地構築。
春島(第1・第2飛行基地)=第3大隊、(竜王山・灯台山)=第2大隊(のちに夏島の松島砲台へ移動)
桜島=第3中隊の一ノ瀬一郎中尉指揮の「桜島守備隊」

(参考:山本茂実著『松本連隊の最後』)
(参考:戦没船を記録する会編集『知られざる戦没船の記録(下巻)』)


歩兵第150連隊のトラック島派遣から終戦までが書かれています。



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