(通称号:楓4256部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在地 |
佐倉 | 昭和14年 | 第32師団 | ハルマヘラ島 |
編成後、直ちに中国・山東省西部地区治安の基幹部隊として出動。
山東省内の各種討伐や浙かん作戦に参加。
昭和19年5月、ハルマヘラ島に転進し、ワシレ湾北方地区に陣地を占領。
以後、終戦まで同島の守備に任じた。
『日中戦士鎮魂碑』 (千葉県護国神社) (平成16年8月28日) |
由来記
我が楓4256部隊(歩兵212聯隊)は、昭和14年陽春、佐倉57連隊に於いて第32師団管下の部隊として編成、軍旗を親授され、同年端午節屯營を出発、北支派遣、山東省魯西道の治安警備に当たり、昭和19年豪北ハルマヘラに転進、現地において軍旗を奉焼。
渡支数ヶ月後には、第1大隊、長田部隊長を初め数百名の戦死傷者を輩出、部隊は壊滅状態となる。
所謂「梁山事件」である。
各隊は駐屯地周辺における寧日なき作戦、討伐行は、日中彼我双方に数多くの戦死者を出す。
日中両国戦士の立場は相反し、砲火を交え、救国の美名の下、戦線に立ち散兵線に散華した。
日中両国戦士の遺族一統の心中を思う時、正に断腸の感あり。
日中国交正常化した今、我が魯桜会有志は、「永久不戦」を誓い両国犠牲者の怒れる魂よ静まり給えと、「日中戦士鎮魂碑」を建立したものである。
昭和52年4月吉日
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