(通称:幸3703部隊)
静岡県静岡市 駿府城内
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在地 |
静岡 | 明治31年 | 第3師団 | 蕪湖(中国・安徽省) |
明治31年静岡で編成された部隊で、日露戦争で名を馳せた軍神・橘中佐がいた部隊として知られる。
終戦までの8年間を中国大陸で戦い続けた部隊。
歩兵第34連隊跡の碑 (静岡県・駿府城) 何が悲しいって、碑の周りは立ち入り禁止の芝生で囲まれています。 これでは石碑に近づけません。 (平成14年11月23日) |
毒ガス訓練講堂
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※ HPを訪問いただいたH・K様よりお送りいただいた写真です。
現在は個人所有の建物ですので、所有者名・所在地は伏せさせていただきます。
(平成19年11月25日追記)
戦歴
日露戦争では第2軍に属して大きな勲功を建てる。
青島要塞攻略戦争、山東出兵にも参加。
昭和12年、上海派遣軍に属して、上海会戦、南京攻略戦に参加し、その後は無錫付近の警備につく。
昭和13年、徐州作戦、信陽攻略戦に立て続けに参加。
昭和14年、襄東作戦に参加。
昭和15年、宣昌作戦、漢水作戦に参加。
昭和16年、予南作戦、江北作戦、第1次長沙作戦に参加後、信陽付近の討伐戦および警備にあたる。
昭和17年、京漢線沿線地区掃討戦を実施。
昭和18年〜19年、大別山作戦、江南殲滅作戦、常徳殲滅作戦に参加。
昭和19年、湘桂作戦に参加。
昭和20年、湘桂反転作戦中、8月18日、銭家湖付近で日本の敗戦を知る。
連隊編成表(昭和14年1月1日現在)
連隊本部 | 連隊長 | 大佐 | 鈴木貞次 |
副官 | 少佐 | 平井定 | |
中尉 | 望月梅太郎 | ||
旗手 | 少尉 | 上條格 | |
通信 | 中尉 | 上出宇敬 | |
瓦斯 | (予)中尉 | 中野幸太郎 | |
獣医 | (予)中尉 | 長倉義夫 |
第1大隊 | 大隊本部 |
第1中隊 | |
第2中隊 | |
第3中隊 | |
第4中隊 | |
第1機関銃中隊 | |
大隊砲小隊 | |
連隊砲中隊 | |
第2大隊 | 大隊本部 |
第5中隊 | |
第6中隊 | |
第7中隊 | |
第8中隊 | |
第2機関銃中隊 | |
大隊砲小隊 | |
速射砲中隊 | |
第3大隊 | 大隊本部 |
第9中隊 | |
第10中隊 | |
第11中隊 | |
第12中隊 | |
第3機関銃中隊 | |
大隊砲小隊 |
第1歩兵砲小隊編成表(昭和15年7月29日現在)
小隊長:青木勝次中尉 | |
指揮班 | 12名 |
第1分隊 | 13名 |
第2分隊 | 15名 |
弾薬分隊 | 10名 |
小隊長以下51名 |
速射砲中隊編成表(昭和16年4月18日現在)
中隊本部 | |
第1小隊 | 第1分隊 |
第2分隊 | |
第2小隊 | 第3小隊 |
第4小隊 | |
弾薬小隊 | 第1分隊 |
第2分隊 | |
大行李 | |
総員99名 |
(平成16年9月7日記)
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岳南神社の鳥居 (静岡県護国神社) (平成18年4月13日) |
鳥居について
この鳥居は駿府城跡の元静岡歩兵第34聯隊内に鎮座した岳南がくなん神社の鳥居です。
数万の聯隊兵士はこの神社で武運長久と戦勝を祈願して、出征しました。
特に兵士の素朴な願いと、心のよりどころの神社でありました。
昭和20年戦いが終わり駿府城跡内も一変し、新時代の姿に衣替えをすることになり、仲町及地元世話人有志により、此の処に終戦30周年を記念して移築されました。
奉納
元静岡歩兵第34聯隊戦友会(三四会)
元陸軍予備士官学校第8期生会
平成14年10月大祭建之
(説明板より)
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献木 品種 ろう梅 (静岡県護国神社) 元歩兵第34連隊旗親授100周年記念 平成9年12月吉日 元歩兵第34連隊生存者一同 (34会戦友会) (平成18年4月13日) |
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