歩兵第37連隊

(通称号:淀4073部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
大阪 明治31年 第4師団 タイ国(ランバーン北方)

日露戦争では第2軍に所属し、金州・南山攻略、遼陽会戦、沙河会戦、奉天会戦に参加。
日露戦争後、1個中隊が抽出して朝鮮、華北などに派遣された。
昭和11年4月、満州派遣。
翌月、三江省に移駐し、ソ満国境の警備と訓練に従事し、しばらく満州に駐屯する。
昭和15年7月1日動員が下令され華中に向かう。
同年11月から漢水作戦に参加。
昭和16年1月からは予南作戦、9月から長沙作戦に2ヶ月ほど参加。
太平洋戦争勃発後の昭和17年3月9日、第二次バターン半島攻略戦に参加するため上海を出港。
3月15日にフィリピン・ルソン島のリンガエン湾に上陸した。
その後、師団予備隊として行動していたが、4月6日、カポット台で頑強に抵抗していた米比軍の攻撃を命じられる。
砲兵の支援射撃の後、戦車第7連隊とともにカポット台に突入。
陣地を占領すると米比軍の追撃に移り、まもなくカポット台を完全占領した。
バターン半島攻略後、コレヒドール島攻略命令が下される。
この時、マラリアが将兵たちの間に流行し、一時は作戦実行が危ぶまれたが、4月下旬に下火となり、予定通り主力部隊として作戦に参加した。
5月6日、上陸支援砲撃の後、コレヒドール島のバッテリー岬付近に上陸。
翌日には同島を完全に占領する。
同年7月、大阪に帰還。
昭和18年9月、再び動員。
11月1日にパレンバンに上陸し、約2年間インドネシア・スマトラ島西海岸地区の防衛を担当する。
昭和20年2月、タイ国への転進を命じられてマレー半島に上陸し、北上してバンコクに到着。
4月、更に北上してタイ・ビルマ国境の警備と防衛にあたり、同地で終戦を迎えた。


慰霊碑



歩兵第37聯隊 慰霊碑
大阪護国神社





(平成20年6月15日)

碑文(1)

歩兵第37聯隊は 明治29年11月20日 連隊創設の 編成大命 発令により誕生す
明治31年3月24日 勅語と共に 軍旗一旒を親授さる
明治37年3月 日露戦争勃発するや連隊は 参戦し 前石橋子の奮戦、奉天城占領等 数々の武勲を樹て 感状を授与され 其の名を内外に宣揚し 明治38年12月 凱旋す
爾来 朝鮮半島 台湾 青島 天津等の守備 また 北支駐屯等 約30年にわたり 支隊派遣 一意専心 国家守護に任じたり
昭和12年4月 満洲派遣の大命降下 日露戦争以来の 軍旗と共に出動 わが聯隊は 菊水部隊として 勇躍渡満し 満洲事変 支那事変 大東亜戦争へと展開 移駐 転戦し 北は満洲 支那大陸 南はフィリピン スマトラ インドシナ タイ ビルマ 印度洋上の離島等にて 忠節を尽くし 終戦を迎う
然しながら 日露の役より 大東亜戦争 終結に至るまで 国に報ゆるため 悠久の大義に 身命を捧げられしもの 数千柱を 数うるなり
ここ 護国神社神域に 碑を 建立し 尊き英霊の偉勲を偲び 慰霊の誠を捧ぐ

平成5年11月建之
歩三七会

碑文(2)

歩兵第37聯隊は明治31年3月24日編成完了と同時に明治陛下より勅語を賜り軍旗を拝受してより平成10年度は創立100周年を迎える事となりその記念として本碑を建てるものである。
聯隊は創立以来半世紀に亘り内に在っては大阪衛戍部隊として國土防衛に任じ、外に在っては日露戦争以降大東亜戦争に至る間常に第一線部隊として戦史に輝く武勲を立て菊水部隊として勇戦奮斗してまいりました。
この間2千余柱の将兵が悠久の大義に生き國家の為め殉ぜあっれた。
その御霊の神鎮まりますこの神域にて慰霊顕彰すると共に在天の英霊の御加護を得て茲に國の弥栄を祈念するものであります。

平成10年5月吉日
歩三七会 建之


歩兵第37聯隊跡の碑



『歩兵第37聯隊跡』の碑
(大阪市・大阪医療センター)

昭和61年11月 歩三七会 建之



(平成20年6月16日)
記念碑



歩兵第三十七聯隊 創立100周年 記念碑
(大阪市・大阪医療センター)





(平成20年6月16日)

碑文

明治31年3月24日 歩兵第37聯隊が 創立されてより本年を以て100周年に当たる為め 由緒あるこの地に記念として建立した所以であります。

平成10年3月吉日
歩三七会 建之

克忠の碑


『克忠』の碑
(大阪市・大阪医療センター)

大正11年5月25日
第四師團長 鈴木荘六 題
歩兵第三十七聯隊長 井染禄朗 識


(平成20年6月16日)
歩兵第38連隊跡
(大阪市中央区法円坂2−1−14・国立病院機構 大阪医療センター)



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