装甲巡洋艦 磐手


軍艦磐手戦死下士卒の墓



軍艦磐手戦死下士卒之墓
(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地





(平成20年11月23日)

軍艦磐手戦死下士卒之墓

一等巡洋艦
明治34年3月18日英国で竣工

明治37年8月14日、蔚山(ウルサン)沖におけるロシア・ウラジオ艦隊と交戦の際の戦死者10名を祀る。
磐手は明治34年3月18日に佐世保在籍艦となり、その後横須賀、呉に一時転籍した。
昭和18年10月1日再び佐世保在籍となり、昭和20年7月28日の呉空襲で浸水擱座した。

(参考:社団法人 佐世保東山海軍墓地保存会発行 『佐世保東山海軍墓地 墓碑誌』 平成20年第3刷)


【出雲型】

海軍拡張計画の装甲巡洋艦3番、4番として計画されたタイプだが、「浅間」型が先に完成したために最も最後の完成となった。
「磐手」は第一次大戦では青島方面、さらにインド洋方面に進出。
昭和8年以降は「八雲」と共に練習艦隊を編成して士官候補生の遠洋航海任務に就いた。
太平洋戦争後期は呉にあって練習艦として使用された。

【要目】(出雲・新造時)
常備排水量:9773トン
主機:レシプロ機関2基・2軸
主缶:石炭専焼円缶×12 (1万4500馬力)
最大速力:20.75ノット
航続力:10ノットで7000海里
兵装:20.3cm45口径砲・連装×2
    15.2cm40口径砲・単装×12
    7.6cm40口径砲・単装×14
    47mm砲・単装×8
    45cm魚雷発射管・単装×4
装甲:舷側最厚部178mm

【同型艦】
出雲 明治33年9月25日 英安社で竣工
    大正10年9月1日 一等海防艦に類別変更
    昭和17年7月1日 一等巡洋艦に類別変更
    昭和20年7月24日 沈没
    昭和20年11がつ20日 除籍
磐手 明治34年3月18日 英安社で竣工
    大正10年9月1日 一等海防艦に類別変更
    昭和17年7月1日 一等巡洋艦に類別変更
    昭和20年7月24日 空襲により大破着底
    昭和20年11月20日 除籍


(参考:『歴史群像2007年10月号別冊付録 帝国海軍艦艇総覧 明治・大正編』)


昭和14年(1939年)10月18日、日本海軍の練習艦隊の「八雲」「磐手」は、ハワイのホノルル港に入港した。
海軍兵学校(67期)を卒業して、少尉任官を命ぜられた古野繁実は同期の横山正治と共にそこにいた。
古野は「八雲」、横山は「磐手」に乗り組んでいた。
のちに、二人は、昭和16年12月7日(現地時間)、それぞれ特殊潜航艇にて真珠湾攻撃に参加することになる。

(参考:牛島秀彦著 『九軍神は語らず』 講談社 1976年第1刷)

(平成23年9月28日追記)




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