回天


人間魚雷 回天



回天1型かいてん・いちがた
(東京都千代田区九段・靖国神社・遊就館)





(平成14年10月24日)

大東亜戦争末期の昭和19(1944)年8月海軍が制式兵器として採用した「人間魚雷」でありここに展示のものはその1型である。
回天は日本が世界に誇った酸素魚雷を活用することを黒木博司大尉・仁科にしな関夫中尉が着想したことから研究され、一発で巨艦も轟沈させる威力を持つ兵器となった。
この必死の兵器により、身を挺して祖国を護ろうと百余人の若人達が次々と南溟[なんめい]に散っていった。
ここに展示してある回天は、終戦後ハワイの米陸軍博物館に展示されていたが、当局の好意により昭和54(1979)年10月、靖國神社に永久貸与されたものである。

(説明板より)


回天 平成21年12月8日

回天 (アメリカ合衆国・ハワイ・ボウフィン博物館)

KAITEN
One Man Japanese
Suicide Torpedo
First Used in 1944

説明文
KAITEN
WWU JAPANESE SUICIDE TORPEDO
THE NAME "KAITEN" MEANS "TO MAKE A RADICAL REVERSE IN COURSE OF EVENTS"
THE JAPANESE HOPED THAT THIS NEW SECRET WEAPON WOULD HAVE JUST SUCH AN
EFFECT ON THE COURSE OF THE PACIFIC WAR IN 1944.

KAITEN WAS BASICALLY AN ENLARGED TORPEDO WITH A SMALL COCKPIT,A PERISCOPE,AND
MANUAL CONTROLS FOR STEERING,SPEED AND DEPTH.IT HAD A PURE OXYGEN-FED,
KEROSENE-BURNING 550 HORSEPOWER ENGINE AND A HUGE 3,000-POUND EXPLOSIVE WARHEAD,
WHICH COULD BE DETONATED ON IMPACT OR BY AN ELECTRICAL SWITCH CONTROLLED BY THE PILOT.
AT TOP SPEED,KAITEN WOULD TRAVEL 75 FEET IN JUST UNDER ONE SECOND

KAITEN WERE TRANSPORTED BY SUBMARINE TO "FIRING POSITION"(3.5 to 4.5 MILES FROM THE TARGET).
A TELEPHONE LINE LEADING INTO EACH KAITEN ALLOWED THE SUBMARINE’S CAPTAIN TO PROVIDE
LAST MINUTE,PRE-LAUNCH INSTRUCTIONS REGARDING COURSE,DEPTH AND SPEED TO GUIDE EACH
KAITEN PILOT TO HIS TARGET.AS THE SECURING CABLES WERE RELEASED,THE TELEPHON LINE
WOULD DISCONNECT,LEAVING THE PILOT ON HIS OWN TO START HIS TORPEDO’S ENGINE AND
GUIDE IT ON A COLLISION COURSE WITH THE TARGET.

THE UPPER HATCH OF A KAITEN WAS INTENDED TO BE USED AS AN ESCAPE DEVICE WHEN THE
PILOT WAS WITHIN 150 YARS OF THE TARGET,IT IS BELIEVED TO HAVE NEVER BEEN USED AS
SUCH.IN ALL,96 KAITEN PILOTS DIED (16 IN TRAINING).

THE ONLY KAITEN KNOWN TO HAVE SUNK A US.NAVY SHIP WAS PILOTED BY LTJG SEKIO
NISHINA,WHO HIT THE FLEET OILER USS MISSISSINEWA (AO-59) AT ULITHI ON 20 NOVEMBER 1944.
IN HIS CRAFT HE CARRIED THE ASHES OF HIS FRIEND,LT HIROSHI KUROKI,
WHO HAD BEEN KILLED DURING KAITEN TRAINING.NISHINA AND KUROKI WERE THE TWO JUNIOR
OFFICERS WHO INVENTED KAITEN.

ONE MERCHANT SHIP,SS CANADA VICTORY,IS BELIEVED TO HAVE BEEN SUNK BY KAITEN.
ONE OTHER SHIP,USS UNDERHILL (DE-682),WAS SCUTTLED AFTER BEING SEVERELY
DAMAGED BY KAITEN.



伊370と回天
(ハワイ・ボウフィン博物館)



(平成21年12月8日)

写真の説明文(英文)

Japanese submarine I−370, departing on her first and only Kaiten
mission in 1945. Kaiten was a larger, more powerful variant of the
highly advanced Model 93 ”Long Lance” torpedo, with the addition of a
man to improve accuracy. It was a weapon designed in desperation to
repel the steadily advancing U.S.fleet, in the final months of the war.
Kaiten pilots, loyal to the ways of the Bushido(code of the warrior),
and with a culturally inherent obedience to emperor and country,
eagerly volunteered for training. although 96 of them died(16 in
training), only one U.S.ship is positively known to have been sunk by a
kaiten − it was USS Mississinewa, a fleet oiler, destroyed at Ulithi on
Nov.20,1944. Most Kaiten missions ended as unproductively as that
of the I−370. She was unable to launch any of her five Kaiten before
being sunk by the USS Finnegan(DD−307) on Feb.16,1945.   


回天4型胴体 平成18年11月22日

回天4型胴体

回天4型は、回天の速度向上と航続距離の延長など、性能向上を目指して研究改良を加えて作られたものである。
大東亜戦争の終戦時には6隻が完成していたが、重量が大きくなり潜水艦搭載に不便で、実戦には使用されなかった。
戦後は完成した6隻及び関係部品は海中投棄や解体された。
この回天4型胴体も戦後放置されていたものを、回天4型勇姿の永久保存の目的を持って、回天関係者が靖國神社に奉納されたものである。

回天4型胴体



回天4型胴体
(東京・靖国神社遊就館)





(平成18年11月22日)

回天4型の構造 (説明板より)

説明板の写真 (説明板より)


回天十型試作型 平成18年3月19日

回天十型試作型



回天十型・試作型
(広島県呉市・「大和ミュージアム」)





(平成18年3月19日)

特攻兵器
「回天」十型試作型

「回天かいてん」は、人間が魚雷を操縦しながら、目標とする艦艇に体当たりする特攻兵器で、「人間魚雷」とも呼ばれます。
一型・二型・四型・十型などのタイプがあり、実戦投入されたのは、「九三式酸素魚雷」を用いた一型のみで、約420基が製造されました。
戦没者は搭乗員だけでも100名以上にのぼり、その多くが20歳前後でした。
当館展示の「回天」十型は、潜水艦用の電気推進魚雷である「九二式魚雷」を利用し、本土決戦の近距離用として開発されたものです。
(寄贈:湯豆腐 嵯峨野)

[要目]
全長 9.0メートル
操縦室直径 0.7メートル
胴体直径 0.53メートル
全重量 2,500キログラム
速力 8ノット
航続距離 30キロメートル
装備 頭部弾頭炸薬300キログラム
乗員 1名

(説明板より)

大和ミュージアム



呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

(広島県呉市)





(平成18年3月19日)
1階:「呉の歴史」展示
呉の歴史を、その背景となった世界・日本の動向とのかかわりのなかで紹介します。
写真や映像などに加え、10分の1戦艦「大和」や、零式艦上戦闘機、人間魚雷「回天」などの実物資料で戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えます。
3階:「船をつくる技術」展示
船を中心とした科学技術の原理を体験・体感を通して分かりやすく紹介します。
操船シミュレータのほか、作った船を走らせることができる実験水槽、科学の不思議を体験するサイエンスショーや工作教室などで楽しく学べます。
「未来へ」展示
宇宙開発へと夢をはぐくみ広げてきた科学技術と、時空を超えた未来への希望を創造し続ける松本零士氏の世界などを紹介します。

開館時間 展示室 9:00〜17:00
休館日 火曜日(祝日の場合は翌日、7月21日〜8月31日は無休)
観覧料 一般 500円
アクセス JR呉駅から徒歩5分

(リーフレットより)


回天特別攻撃隊・菊水隊(玄作戦)

昭和19年11月20日黎明、伊36・伊47でウルシー環礁泊地を、伊37でパラオのコッソル水道泊地を奇襲

指揮官 第15潜水隊司令 揚田清猪大佐
伊36 艦長 寺本巌少佐 回天1基のみ出撃
他の3基は断念
回天搭乗員 吉本健太郎中尉・豊住和寿中尉・今西太一少尉・工藤義彦少尉
伊37 艦長 神本信男中佐 奇襲前日に撃沈
回天搭乗員 上別府宣紀大尉・村上克巴中尉・宇都宮秀一少尉・近藤和彦少尉
伊47 艦長 折田善次少佐 回天4基出撃
回天搭乗員 仁科関夫中尉・福田斉中尉・佐藤章少尉・渡辺幸三少尉
伊号第36潜水艦模型



伊号第36潜水艦・模型

(東京・靖国神社遊就館)





(平成18年11月22日)

伊号第36潜水艦

伊号第36潜水艦は、昭和17年9月横須賀海軍工廠にて竣工。
この潜水艦の特徴は艦橋前の大型格納筒で、そこには小型水上偵察機がおさめられた。
そして前甲板ぜんかんぱんの殆どを占めるカタパルトに象徴される航空機搭載能力である。
しかし、大東亜戦争中期に後甲板こうかんぱんの備砲びほうを撤去し人間魚雷「回天」4基を搭載、第一次玄げん作戦ウルシー攻撃を成功させた。
後に前甲板の航空施設を撤去し回天2基を増備ぞうびし、数多くの回天作戦に従事した。
戦後、米軍によって長崎県五島列島沖にて爆破処分された。
同型艦は20隻が建造されたが本艦を除いて全て戦没した。

(説明板より)




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