久米正雄像 平成18年9月24日

久米正雄 くめ・まさお

明治24年(1891年)11月23日〜昭和27年(1952年)3月1日

神奈川県鎌倉市・長谷寺でお会いしました。


長野県出身。
東大卒。
6歳の時に小学校校長だった父親が御真影焼失の責任を取り割腹自殺。
中学時代から新傾向俳句に優れていた。
東京帝国大学在学中の大正3年、第三次『新思潮』に『牛乳屋の兄弟』を発表して注目される。
師である夏目漱石の長女筆子への失恋を素材とした『蛍草』『破船』で一躍流行通俗作家となった。
昭和27年、60歳で没す。


久米正雄像と長谷寺



久米正雄像と長谷寺

(神奈川県鎌倉市長谷3−11−2)





(平成18年9月14日)

久米正雄胸像

1891年長野県上田市に生誕
小説家・劇作家・俳人・夏目漱石門下生
1923年9月鎌倉市長谷に在住中関東大震災に遭い長谷寺に避難
「鎌倉ペンクラブ」結成初代会長となる
鎌倉文士でもあり「破船」など作品あり

(説明板より)

長谷寺から見た由比ガ浜




長谷寺から見た由比ガ浜






(平成18年9月14日)

長谷寺・由緒

当山は正式な名称を「海光山慈照院長谷寺」と号し、伝来する縁起に曰く、その開創は聖武天皇の御代にあたる天平8年(736)という鎌倉でも有数の古刹であります。
開山徳道上人。
開基は藤原鎌足の孫にあたる藤原房前。
本尊である十一面観世音菩薩は、養老5年(721)に徳道上人の本願によって、1本の楠の霊木から刻出された2体の観音像のうちの一つといわれ(残る1体は大和の長谷寺の本尊となる)、開眼供養の導師を務めた行基菩薩によって衆生済度の願が込められ海中に投じられたといいます。
その後、相州長井浦に流れ着いた尊像は鎌倉に遷座され、当山創建の礎となったということです。
古来より坂東三十三観音の第4番霊場として民衆の信仰をあつめ、「長谷観音」の通称で親しまれる尊像は総高9.18米あり、本邦でも最大級の木造観音といわれます。

■開門時間
夏時間(3月〜9月) 午前8時〜午後5時半
冬時間(10月〜2月) 午前8時〜午後4時半
■宝物館
月曜休館(祝祭日は開館)
■交通案内
江ノ電・長谷駅下車、徒歩5分
■駐車場あり

■入山料:大人 300円

(入山券の説明文より)


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