くらいど丸戦没者慰霊之碑


くらいど丸戦没者慰霊之碑 平成19年3月27日

碑文

第12師団は昭和11年以来関東軍の精鋭部隊として、満州国(現中国東北地方)東部方面の治安維持及び満ソ国境の警備に任じありたり。
時恰も大東亜戦争戦局の激烈化に伴ひ、昭和19年12月動員下令せられ、第10方面軍(台湾)戦力増強の任を受けたり。
師団は門司に集結、更に増援部隊を指揮下に入れ、航行の安全を期して全部隊を数隻の輸送船に区分乗船せしむ。
くらいど丸(5,497トン)には、師団司令部をはじめ、歩兵第46連隊第2大隊を主力として次の諸部隊これに混乗せり。
野砲兵第24連隊、工兵第18連隊、輜重兵第18連隊、船舶工兵(暁兵団)第30連隊の各一部、仮編成第13機関砲隊、第8飛行師団隷下(熊谷にて編成)第188飛行場大隊、以上の総勢1,497人(内船員80人)。
8隻の船団は3隻の海防艦護衛の下に、昭和20年1月21日門司港を出港す。
途中敵潜水艦の跳梁を慮り、黄海を経て大陸沿岸を南下せり。
船脚の遅々たるなかにも将兵の志気益々旺盛なり。
斯くて台湾海峡を横断し、愈々基隆上陸まで3時間の目前にして、上陸準備を整え将に朝食につかんとす。
その途端くらうど丸は、突如敵潜水艦の魚雷2発の連続直撃を受け、忽ちにして危急の事態に陥る。
時に昭和20年1月29日早暁午前6時30分。
その直撃弾による戦死傷者多数に上る。
危ふく船体を離脱せし者は相互に呼応し、且つ負傷者を激励しつつひたすら救助船を待つも、折悪しく激浪逆巻き、五体も凍る寒気のため救助意の如くならず、多くの者は痛ましくも海中に没し去り、その戦死者及び海没死亡者の合計1,107人に及ぶ。(内船員57人)。
抑々戦闘に身命を賭する軍人として、又船と運命を共にせんと期する船員として、水漬く屍も敢へて厭わずと謂へども、その志半ばにして、敵に一撃だに報ゆるに至らず、身を荒海の底に没す。
無念の心情誠に察するに余りあり。
茲に生存の戦友及び有志ら相図り、各方面の支援を得て、くらいど丸遭難戦歿者の霊を鎮め、同時にその悲愴なる献身の事蹟を顕彰し、世界人類の恒久平和を祈念して、再び斯かる惨事を繰り返さざらんことを、後世に語り継ぐべくこの碑を建立せり。

昭和58年1月29日
賛同者一同

くらいど丸戦没者慰霊の碑



くらいど丸戦没者慰霊之碑

(長崎市・長崎県護国神社

昭和58年1月29日建立



(平成19年3月27日)
くらいど丸戦没者名簿
※氏名略
第12師団司令部
歩兵第46連隊第2大隊本部
歩兵第46連隊第5中隊
歩兵第46連隊第2機関銃中隊
歩兵第46連隊第2大隊砲小隊
歩兵第46連隊歩兵砲中隊
歩兵第46連隊速射砲中隊
歩兵第46連隊通信中隊
野砲兵第24連隊 第1大隊本部
野砲兵第24連隊 第2中隊
輜重兵第18連隊 第1中隊
輜重兵第18連隊 第2中隊
工兵第18連隊
船舶工兵第30連隊
船舶工兵第30連隊 通信隊
仮編第13機関砲隊
第188飛行場大隊
くらいど丸船員


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