戦車第2師団の戦跡

(サラクサク第2峠)


4月29日、3日目の朝を迎えました。早朝6時起床。朝食を食べ7時半サラクサク第2峠に向かい出発。
サラクサク峠は日本軍の呼び名です。現地ではこの山々を一括して”ダラワン”と呼んでいます。
米軍では”ビリヤ・ベルデ”と呼んでいます。

サラクサク第2峠全景

天王山 サラクサク第2峠頂上から見た”天王山”(米軍名504高地)

この山一帯は”アキ陣地”と呼ばれていました。
第10師団歩兵第39連隊第1大隊(乾中尉指揮)の約100名が布陣していました。
ここに米軍に押されて”カバリシアン”から後退してきた祖父の部隊が合流、乾大隊は祖父の指揮下に入ります。
昭和20年3月10日には米軍が進出。壮絶な争奪戦を展開しますが、乾大隊は玉砕してしまいました。その後も散発的に3月末まで争奪戦が展開されました。
天王山頂上の塹壕 天王山頂上に残る塹壕跡

頂上部分には、いくつもの塹壕跡が残っています。
ここには無数の横穴陣地があったはずですが、今は頂上に数十箇所の塹壕跡が残っているだけです。
米軍は猛烈な砲撃で木々をなぎ倒し、ガソリン入りのドラム缶を頂上から落として山全体を火の海にし、横穴壕はダイナマイトで粉砕するという戦法を取りました。そのせいでしょうか、密林だった山は今でも禿山のまま、横穴壕は崩落してその姿はどこにも見えません。

峠の麓から登ること約30分。サラクサク第2峠の頂上に到達。更に右手に見える”天王山”に登りました。
ビデオを撮影しながら登りましたが、足元の悪さに加えて風の凄さにビデオカメラがブレること・・・・
ここは風速何十メートルなのかと思うくらい風が強く、吹き飛ばされるんじゃないかと心配したほどです。

高田山 ”天王山”の頂上から見た”高田山”(米軍名505高地)

この山の一帯は”フユ陣地”と呼ばれていました。
ここには戦車第2師団所属戦車第10連隊第4中隊の高田(現姓・佐藤)中尉が50名を率いて布陣していました。それで、”高田山”と名付けられているのです。
祖父はこの高田部隊を指揮下に入れますが、同時に戦車第10連隊(原田部隊)の指揮下に入ります。
天王山 ”高田山”頂上から見た”天王山”

このサラクサク峠一帯は戦車第2師団(撃兵団)及び配属部隊が戦った激戦場です。
高田山 ”高田山”の東にある”富士高地”の斜面から”高田山”頂上を見る。

ここにも塹壕が数箇所残っていました。
ここの戦闘は3月11日に砲兵観測所が米軍に奪取された時から始まります。激闘約1ヶ月。4月18日に戦車第10連隊本部が急襲され、”フユ陣地”は陥落しました。
米第32師団の記録によれば、実際に数えた日本兵の遺棄死体は223名、更に137の洞窟陣地内に多数の死体を密封したと書かれています。

”天王山”の次に”高田山”に登りました。
2年前にもサラクサク第2峠の頂上まで登りましたが、普段の運動不足と猛暑のためヘトヘト。
峠の頂上を確認しただけで山を降りました。
この時には”天王山””高田山”の位置が不明確だったので、帰国後再度調査して再チャレンジしたのです。

山と言うのは不思議なもので、下から見た地形、山の形、位置関係を頭に入れて登っても、いざ山の中に入ると・・・
「ここはどこ?」ということになります。
ナビがあったらなぁ〜

先導役を買って出てくれたバディ君(22歳)は一生懸命山の名前を覚えようとするのです。歩きながらブツブツ・・・
「テンノォ〜ザン?」「タカダァ〜ヤマァ?」
”高田山”中腹では窪地に飛び込んで米軍の弾薬箱を見つけてきました。
とにかく一生懸命です。

「どの辺に日本軍のトンネルはある?」と聞いてきます。
彼が言うトンネルとは横穴壕のことでしょう。
「もし私が指揮官ならば・・・・ここあたりに機関銃陣地、このあたりに横穴壕、このへんには個人壕を作るだろうな。山の反対斜面にはY字型の本部壕があったはずだ」と私。
「今度トンネルを捜しておくから、また俺を雇ってくれ」とバディ君。

帰り道もブツブツと「テンノォ〜ザン!タカダァ〜ヤマァ!」
楽しい男である。
彼が生まれて初めて覚えた日本語が「テンノウザン」と「タカダヤマ」では申し訳ないが・・・・(笑)

祖父が戦った戦場跡を自分の足で歩いて見ることと、4中隊の佐藤さん(旧姓高田さん)に現在の”高田山”の状況をビデオに撮って見せてあげることが今回の戦跡訪問の目的の一つでしたが無事に目的を達成できました。

米軍手榴弾の破片 バディ君がサラクサク第2峠頂上で見つけた米軍の手榴弾の破片

手榴弾の”尻”の部分です。
峠道を挟んで手榴弾の投げあいをしたのでしょう。
白兵戦の凄まじさが偲ばれますが、こんな破片が体に突き刺さるのかと思うとゾッとします。

昼前にオマリオ氏の家に戻りました。
そこで、ジェイソン君とバディ君に、お礼としてそれぞれ500ペソ(1,200円)を渡しました。
バディ君は「今度はいつ来るんだ?今度は旅行社に俺をガイドとして雇うよう指名してくれ」と売り込みに必死です。
益々面白い男です。いい”子分”が出来ました。(笑)

   

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