フレデリック・リンガー

1838年〜1907年


フレデリック・リンガー



フレデリック・リンガー

(長崎グラバー園・展示パネルより)





(平成19年3月26日)

フレデリック・リンガーは、英国のノーフォークに生まれた。
若くして中国に渡った彼は、1863年(文久3年)広東にある英国系の会社で、茶の検査官として働いている時に、トーマス・グラバーと出会い、乞われてグラバー商会に入社し製茶事業技術顧問として活躍した。
1860年代後半、南山手2番地の山腹に天草産の砂石で、バンガロー風邸宅を造り、その家で家族と生活を共にした。

ホーム・リンガー商会 展示パネルより

古写真 説明板より
大正時代(5年〜9年)向かって右端がホーム・リンガー商会。左端が米国領事館、中央が英国領事館

1868年(明治元年)、フレデリック・リンガーとE・Z・ホームによってグラバー商会の後を引き継ぐ形で、ホーム・リンガー商会を設立した。
この商会は、長崎の主要な貿易品である緑茶の輸出を行った。
他の貿易品には、英国などから、機械 造船器材 鉄板 板ガラス カージフ炭 毛織物 洋酒などの輸入販売を業務としていた。
又 数十にも及ぶ各種事業公社(印度支那いんどしな銀行 香港上海ほんこんしゃんはい銀行 ロイド保険 東京海上保険 など)の代理業務も兼任していた。

長崎汽船漁業の設立

1907年(明治40年)10月、日本で初めて蒸気トロール船を取り入れた「長崎汽船漁業」を設立した。
新会社の専務取締役に、トーマス・グラバーの息子 倉場富三郎が就任した。
海底をさらうように大きな円錐形の網を引き、捕獲するこの漁法は、あまりにも革命的な漁獲をもたらしたため、今まで伝統的漁法に甘んじてきた地元の漁師たちより抗議がでた。
1909年(明治42年)底引き網漁に関する多くの規制事項を盛り込んだ解決案が採決され和解となった。

(解説文:『旧リンガー住宅』展示パネルより)

旧リンガー住宅



旧リンガー住宅

(長崎県長崎市・グラバー園)





(平成19年3月26日)


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