戸田氏鉄像 平成19年4月2日

戸田氏鉄 とだ・うじかね

天正4年(1576年)〜明暦元年2月14日(1655年3月21日)

岐阜県大垣市・大垣公園でお会いしました。


父は近江国膳所ぜぜ城・城主の戸田一西かずあき
天正17年(1589年)から徳川家康に仕え、関ヶ原の戦に従う。
大坂の陣では居城の膳所城を守る。
後に摂津国尼崎藩主となる。
寛永12年(1635年)数度の加増を合わせ、美濃国で10万石を領し、大垣城に住む。
2年後の島原の乱では、松平信綱と共に幕府上使となって諸軍を指揮。
藩家臣団への俸禄制の採用や、新田開発の奨励など藩政の整備にも尽力。


戸田氏鉄公騎馬像



戸田氏鉄公騎馬像

(大垣市・大垣公園)





(平成19年7月2日)

建詞

戸田氏鉄公は大垣戸田藩の初代藩主として寛永12年大垣に転封となり二百三十余年に亘る大垣藩政の基礎を固められました
氏鉄公は幼時より父君近江膳所の藩主一西公の許にあって武勇殊のほか逞しく成長され、14才にして徳川家康公に仕えられ関原の役に参戦しては家康公の傍に在って武功をたてられました
父君一西公の跡を受けて近江膳所城主となり、その後摂津尼崎に転封され五万石の城主として治水事業に格別の手腕を発揮されました
美濃大垣十万石の藩守となってからは島原の役への出陣領内の新田開発藩政の基本となる諸法整備に努められ揺ぎない財政基盤を確立領民の生活の安泰を計られました
氏鉄公に始まる戸田十一代の藩政は明治維新の後も郷土大垣の繁栄の糧として脉々として受け継がれ今日の豊かな暮しに息づいております
この氏鉄公の偉業を永く後世に伝えて顕彰するとともに豊かな郷土への恩恵に感謝し相計って騎馬銅像を建立するものであります

平成6年3月27日
戸田氏鉄公顕彰銅像建立委員会委員長 土屋斉 識

(碑文銘板より)

建詞 建詞

手書きの文字を基に作られたものですが、とにかく読みづらいです。
これでは誰も読まないでしょう。
誰も読まない碑文では意味がないのではないでしょうか?

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