膳所城 ぜぜじょう

(別名:石鹿城)

滋賀県大津市膳所


膳所城 平成17年4月9日

関ヶ原の戦い後、徳川家康が京都の背面の守りと大坂方への備えとして、東海・中山・北陸三街道の要所と琵琶湖上を制するために築いた城。
慶長6年(1601)、藤堂高虎の縄張で着工し、諸国の大名に命じて普請に当らせるという天下普請の第1号で、関ヶ原の戦い後、徳川氏による最初の築城。
城は水城で、琵琶湖中に石垣を築いて本丸と二の丸を突出させ、本丸西隅に四層四階の天守閣。
慶長(1601)6月、大津城の戸田一西3万石が初代城主。
元和3年(1617)、子の戸田氏鉄の時に尼崎に転封、西尾より本多康俊が入封。
元和7年、菅沼定好と替わる。
寛永11年(1634)、石川忠総が入封。
慶安4年(1651)、伊勢亀山より本多俊次が7万石(のち6万石)で入封し、以後、明治まで本多家が続く。
寛文2年(1662)、地震後に大改修を行う。

膳所城跡公園入口 膳所城跡公園入口

膳所城跡ですが、どこにも膳所城を説明する説明板も案内板もありませんでした。
徳川家康が築城した城なのにねぇ。
藤堂高虎が縄張りした城なのにねぇ。
大津市教育委員会はお城には興味がないのか・・・?
城門? 城門(?)

何の説明板もなし。
本丸跡?


本丸跡(?)


訪問した時は桜が満開。
花見の人で混んでいました。
膳所城跡の碑らしき石碑が立っていましたが、周囲は花見客に占拠され近づけませんでした。


(平成17年4月9日)

膳所神社


膳所神社

京阪石山坂本線・膳所本町駅から膳所城跡公園へ向かう途中にあります。



(平成17年4月9日)

膳所神社

1、祭神 豊受比売命
1、例祭日 5月3日
1、由緒
社伝によると天智天皇が大津の宮に遷都の際、この地を御厨所と定められた。
天武天皇6年に大和の国から御食津神を奉遷して、大膳職の御厨神とされた。
慶長年間に至り大政所、豊臣秀頼、徳川家康などが当社を厚く尊信されて種々の神器の寄進があり、東山天皇は膳所大明神の宣下をされました。
また、慶長6年膳所城創始以来、歴代の藩主本多侯は崇敬が厚く、社領の寄進や社殿の造営が、たびたび行われました。
現在の当社表門は、旧膳所城の城門で重要文化財に指定されています。

平成12年5月吉日

(説明板より)

膳所神社表門 膳所神社表門=膳所城城門

重要文化財建造物
膳所神社表門 一門(大津市膳所1丁目)

この表門は、旧膳所城の二の丸より本丸への入口にあった城門で、明治3年(1870)の膳所城取り壊しの際に移築されました。
門は、棟筋と扉筋とが同一の垂直面にない藥医やくい門で城門として多く用いられています。
屋根瓦には旧膳所城主本多氏の立葵たちあおい紋がみられ、桃山時代の建築として貴重なものです。
脇には潜り戸を付け、頑丈な造りで城門としての貫禄を持っています。
大正13年(1924)4月に重要文化財に指定されました。

大津市教育委員会
平成5年(1993)3月

(説明板より)

膳所神社のもう一つの門

膳所神社のもう一つの門

この門の傍らに「膳所城門一門 東郷長右ェ門 大正元年5月寄附」の石柱が立っていましたが・・・・
これは城門なのか?
何の説明板もないのでわかりませんでした。


(平成17年4月9日)


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