歩兵第108連隊

(通称:鳳8964部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
大阪 昭和13年 第104師団 恵州


歩兵第8連隊留守隊を基幹に予備役を中心に編成。
編成後ただちに満洲に派遣され、錦県に駐屯。
昭和13年7月12日の張鼓峰事件(ソ満国境)では、延吉に展開して警戒に当る。
その後、第21軍に所属して華南を転戦。
昭和13年10月22日、バイアス湾に敵前上陸を敢行して広東作戦に参加。
翌年1月から広東地方の警備のため三水地区に駐屯。
昭和14年11月、翁英作戦では、西村支隊として鉄道修理の工兵隊を援護するが、中国軍の冬季攻勢による猛攻を受ける。(この作戦での戦死者156名)
太平洋戦争期間中は第23軍の指揮下で広東の警備を担当。
昭和19年、大陸打通作戦に参加し多くの被害を出す。
昭和20年3月から米軍の上陸に備えて広東で洞窟陣地を構築中に終戦を迎える。


慰霊碑


慰霊碑

大阪護国神社

歩兵第百八聨隊
つわもの之霊 ここに鎮まる

通称 菊水部隊 鳳八九六四部隊

(平成20年6月15日)

歩兵第108聯隊戦歴
通称 菊水部隊 鳳8964部隊

昭和13年
6月歩兵第8聯隊に於て編成
大阪府中央以北と淡路島出身者を主とし約4500名 軍旗拝受 満洲派遣
8月張鼓峯事件勃發 同地西方にてソ聯軍に對す
10月一轉 南支バイアス湾上陸 廣東進攻作戦
昭和14年
廣東西方三水附近、新■、官窟にあって4月大攻勢を破碎 汕頭攻略戦 花縣平地の戦闘
11月翁英作戦 粤漢鐵道に沿ひ北上連戦3ヶ月 感状を受く
昭和15年
良口會戦 廣東北郊警備
昭和16年
四邑作戦 香港攻略戦を牽制する中國軍大攻勢を三水周邊に於て反撃
昭和17年
従源作戦 佛山に警備地擴大
補充隊歩兵第6聯隊に變更 愛知縣出身者を主に加う
昭和18年
廣州湾進攻作戦 警備地擴大
昭和19年
湘桂作戦(大陸打通作戦) 廣西省柳州西方に轉戦 激戦半歳を越す
昭和20年
香港東方陸豊海豊に進攻 米軍上陸に備う
8月惠州に於て終戦 軍旗奉焼
昭和21年
5月浦賀港歸還 2580名 動員以来この間在隊者 1万名 出身各地に及ぶ
昭和53年10月15日
聯隊發祥の地に慰霊碑並びに軍馬軍犬軍鳩の碑を建立し 戦歿者1千三百餘柱名簿 歸還後の死歿者名簿 建立時判明せる生存者名簿 歩兵第百八聯隊史を永久に納む

(副碑・碑文)

軍馬・軍犬・軍鳩の碑



軍馬・軍犬・軍鳩の碑
(大阪護国神社)





(平成20年6月15日)

百八観音


百八観音

(愛知県幡豆郡幡豆町三ヶ根山)





(平成17年4月3日)

百八観音由来記

歩兵第108聨隊は、昭和13年大阪において編成、直ちに満州に派遣され、続いて中国広東、広西に転進し、昭和21年広州附近より復員その間、中国華南にあっていくたの作戦に参加した
昭和17年補充担当を名古屋歩兵第6聨隊に変更され、また直兵団編成に要員を割き、あるいは聨隊に追及中到達し得ずして終戦を迎えた者もあった
祖国のため、異境大陸の山野に散華した1300余の英霊に思いを馳せ、また不幸われらと戦火を交えて散った中国軍戦士の御霊を偲ぶ時、痛恨極まりなく、断腸の思いは切々として尽きない
ここ三ヶ根山の霊地に、百八観音を建立し、観音の御慈悲のもと、日中戦歿者の英霊及び帰還後物故者の永久に安らかなるを祈り、後世ふたたび、かかる悲しみにひたることなきを冀うものである

我國歩兵第百八聨隊戰士於1937-1945年間不幸在華南各地與中國軍隊交鋒兵刃暴骨遍野中國将兵為保衛祖國而喪亡者亦不計其數
慈為瞻仰英勇殉國兩國戰士不朽之精神擇此聖地興修一百零八座觀音像特以追悼
願中日兩國陣亡戰士超越恩怨永亨安寝

昭和56年5月吉日

元歩兵第百八聨隊及び直兵団へ転出 戦友一同建立
元聨隊副官 服部敏夫謹書

(副碑より)


 (関連商品のご紹介)



 トップページに戻る   陸海軍部隊のリストに戻る

SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu