歩兵第149連隊

(通称号:鵄3063部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
甲府 昭和12年 第61師団 上海北方


昭和12年9月の編成直後、第101師団に属して上海戦に投入され、激戦で兵力は3分の1に激減した。
第10軍の杭州湾上陸作戦では、連隊は上海から杭州までの400kmを南下し、杭州城に無血入城。
昭和13年の春、徐州作戦に参加。
昭和13年7月から10月にかけては、南昌の北方廬山の中国軍を攻撃し、10月25日に徳安城を落として終結したが、連隊の死傷者は1180名にも上った。
昭和14年3月、南昌作戦に参加し、200kmを10日で進撃し、作戦開始後10日で南昌を陥落させた。
その後、南京に移動。
昭和15年2月に甲府に帰還し、連隊は一旦解散したが、12月に再び編成される。
昭和18年3月、第61師団に属して南京東方の鎮江一帯の警備、広徳作戦などに参加。
その後、上海北方で米軍の上陸に備え陣地構築中に終戦を迎えた。






鵄三〇六三部隊戦没者鎮魂之碑
山梨県護国神社




(平成25年9月10日)

碑文

鵄3063部隊は、昭和18年4月7日に当甲府の地を発って、中国に出征いたしました。
かくて2年有8か月にわたり、主として南京、上海周辺地区の治安と警備とに任じてまいりました。
しかし、この間に多くの戦友が大義に殉じて国家の礎石となられたのであります。
ここにこれらの英霊に対し奉り、その英霊とこしえに安らけく鎮まりなさんことを祈念して、鎮魂の碑を建立いたします。

平成8年10月吉日
鵄3063部隊戦友一同

(副碑・碑文より)

付記

甲府で編成された聯隊(通称名)

歩兵第49聯隊(玉)
歩兵第149聯隊(津田部隊)
第二次歩兵第第149聯隊(鵄)
歩兵第210聯隊(楓)
歩兵第220聯隊(東)
支那駐屯歩兵第3聯隊(極)
☆歩兵第266聯隊
☆歩兵第402聯隊
☆歩兵第502聯隊
☆歩兵第326聯隊
☆歩兵第320聯隊

☆印の聯隊は昭和20年4月以降に、新編成され、本土防衛を任務とした。

平成10年

(標柱・碑文)




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