歩兵第43連隊

(満洲第712部隊)

(通称号:錦2435部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
徳島県徳島 明治31年 第11師団 高知県

日露戦争に参加後、シベリア出兵でウラジオストックに駐留。
上海事変に参加。
日中戦争初期の上海戦で浅間支隊(歩兵第43連隊基幹の第22旅団)が羅店鎮占領、呉淞で奮戦。
太平洋戦争では満洲国境警備の後、連隊主力は高知に転用され、戦闘配備についたまま終戦を迎える。
第3大隊のみはグアム島で玉砕。

昭和19年3月、連合艦隊司令官の指揮のもと、中部太平洋方面の守備に任ずる第31軍が新設される。
隷下部隊として第1師団、第11師団からの抽出部隊による第6派遣隊が編成され、連隊からは第3大隊(古川義政大尉以下617名)が抽出された。
昭和19年3月20日にはグアム島に到着し、陣地構築に取り掛かる。
7月6日から20日までの15日間にわたり敵空母15隻による昼夜連続の攻撃を受ける。
7月21日、猛烈な艦砲射撃の後、見晴岬西側から米軍が上陸。
やむなく重松旅団長は部隊配置変更を余儀なくされ、歩兵第43連隊古川大隊(第3大隊)は的野高地付近まで転進し、更にマンガン山へ向かう。
ここで弾薬の補給を受け、夜になり攻撃を開始し、敵第一線の機関銃陣地の破壊に成功するが、間もなく白兵戦となり、大隊のほとんど全滅に近い損害を受ける。
残存兵力は約40名。
富田湾付近の砲兵の支援射撃の下、大隊長以下40名は、旅団主力と共に見晴岬方面へ突撃を敢行するが、マンガン山への猛烈な艦砲射撃により、古川大隊長以下全員がこの地で壮烈な戦死を遂げた。


慰霊碑


満洲第712部隊
歩兵第43聯隊
慰霊碑

(愛媛県松山市・愛媛県護国神社




(平成19年11月9日)

碑文

昭和13年松山歩兵第22聯隊ハ松山ヨリ満洲西東安ニ移駐シタ後第24師団ニ編入サレタ為 昭和15年2月以降愛媛ノ若人ハ徳島歩兵第43聯隊等ニ入隊シタ
同年ヨリ聯隊ハ満洲第712部隊又ハ錦2435部隊ト呼稱サレタ
昭和19年第3大隊ノ617名ハ大宮島(グアム島)ニ分遣サレ同年9月末米軍トノ熾烈ナ戦イニ於イテ玉砕シ其ノウチ164名ハ愛媛県出身者デアッタ
更ニ歩兵第43聯隊ニ在隊セシ者デ祖国ノ安泰ト恒久平和ヲ願イツツ国ノ礎トシテ散華サレタ数多クノ戦友ノ苦難ヲ偲ビ御英霊ニ心カラノ感謝ト畏敬ノ誠ヲ捧ゲ茲ニ慰霊碑ヲ建立ス

平成7年5月
歩兵第43聯隊愛媛戦友会 柳原登志夫
慰霊碑建立委員会 他戦友一同
題字碑文 子仙 佐伯要 謹書
設計施工 株式会社山口石材 代表 山口次雄

献木



献木
(愛媛県松山市・愛媛県護国神社)

捧 満洲第712部隊之英霊



(平成19年11月9日)

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