(通称号:鉄5447部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在地 |
島根県松江 | 明治38年 | 第10師団 | ルソン島北部(フィリピン) |
明治38年7月、広島の第16師団歩兵第32旅団隷下に編成。
翌月、日露戦争に出動。
明治41年11月、第17師団に移り島根県の松江に転営。
大正14年5月、第10師団隷下に編入。
満洲事変では松花江作戦、馬占山軍討伐などに参加。
第3大隊は熱河作戦にも参加している。
日中戦争では子牙河々畔の戦闘、平原城の攻略、黄河渡河作戦、漢口作戦などに参加。
昭和13年3月の台児荘での戦いでは、十数倍の中国軍を相手に死闘を演じた。
昭和15年8月から満洲の興山鎮に移駐して同地区の警備に当たる。
昭和19年、台湾に進出。
鳳山・苗栗・新竹などで台湾防衛に当たる。
昭和19年12月、フィリピンのルソン島へ進出。
第3大隊乗船の乾瑞丸は、ルソン島リンガエン湾北部のサンフェルナンド港入港直前に、敵潜水艦の魚雷攻撃により轟沈。
他の部隊と共に第3大隊606名中、290名が戦死した。
昭和20年1月、米軍上陸。
ルソン島北部・バレテ峠での激戦で奮闘したが、6月14日をもって実質上の全滅状態となる。
生存者は約50日間密林をさまよい歩き、8月5日、ピナパカンに到着するが、その時の兵力はわずかに150名だった。
碑文(副碑)
昭和19年12月比島戦線急を告ぐるや歩兵第63聨隊通称鐡5447部隊は山下大将の隷下に入りルソン島に向かふ
海域は既に米軍の制圧下に在り第三大隊将士の過半は上陸寸前乗船と運命を共にせらる
聨隊は之を痛哭しつゝも上陸を完了してバレテ地区に據る
昭和廿年一月より装備を誇る米軍ニ箇師を迎撃して譲らざること五箇月
敵をして血のバレテ峠と歎ぜしむ
然れどもその間聨隊は大半の将士を喪ひ食糧また盡きて轉進の止むなきに至る
乃ち惨たる飢餓の行進を辿りて漸くウルトウガンに達せしが9月10日終戦の大詔を傅達せらる
噫北満より征途に就きしは林聨隊長以下2320名なりしに残存するは僅かに150名なり
茲に歩兵第63聨隊比島戦歿者慰霊碑を建立し護國の忠魂を無窮に傅へんとす
昭和49年3月
バレテ会
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遺品 (鳥取県鳥取市・鳥取県護国神社) (平成16年11月18日) |
来歴書
九二式重機関銃 1
擲弾筒 1
鉄帽 1
水筒 1
飯盒 1
これらの品は、昭和20年の太平洋戦争の末期フィリピンのルソン島バレテ峠の激戦地において、鉄兵団が米軍と交戦したとき使ったものです。
昭和48年11月政府のフィリピン戦没者遺骨収集事業が実施されたとき現地で収集し、日本に還送されたものです。
バレテ地区の戦斗で敢斗散華された戦没者の遺品でありますので、同地区戦斗の主役として戦った歩兵第63連隊(鉄第5447部隊)の戦没将兵の郷土に永く保存することとして、バレテ会が譲り受け鳥取県護国神社に奉納したものです。
昭和49年6月
(説明板より)
碑文
明治38年7月広島及び小倉において編成
明治41年11月満洲派遣等を経て松江市古志原兵舎に入り島根、鳥取両県民を主体とする郷土部隊が誕生
大正4年3月〜6年5月、同14年5月〜昭和2年5月 満洲守備
昭和6年9月〜9年5月 満洲事変で各地を転戦
昭和12年7月〜14年10月 日華事変で各地を転戦
昭和15年8月 満洲三江省に移駐
昭和19年8月 太平洋戦争の進展により台湾、ルソン島を転戦
歩兵第六十三聨隊跡記念碑建設委員会
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『至誠』の碑 第10師団長 松浦淳六郎書 昭和12年2月建之 |
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歩兵第63連隊が使用していた建物 (北側から見る) 島根県立松江工業高校敷地内に1棟だけ残っていました。 由来記等の説明板は見当たりませんでした。 (平成16年11月21日) |
(南側から見る)
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島根県立松江工業高校 門を入って真っ直ぐ進み左側奥に建物があります。 野球グラウンドの反対側です。 (平成16年11月21日訪問) |
台児荘の戦い |
中国大陸で日本軍が初めて敗戦を喫した作戦。
台児荘は徐州東方約30キロ。
一面が麦畑の大平野で、その中に楊柳に囲まれた小村落やコブのような小山が点在する地勢。
中国軍は李宗仁、湯恩伯、孫連仲の30数個師団の大兵団。
対する日本軍は2個師団。
彼我の兵力差は20対1といわれた。
(参考:棟田博著『陸軍よもやま物語』)
(平成19年2月19日追記)
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バレテ峠 (フィリピン共和国ルソン島北部山岳地帯) 旅日記をご参照ください。 (平成15年4月28日訪問) |
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バレテ峠にある日本軍戦没者慰霊碑 (平成15年4月28日訪問) |
【歩兵第63連隊】
昭和19年12月23日 北サンフェルナンド上陸、サンホセに向かう
昭和20年1月中旬〜6月中旬 サンホセ作戦、バレテ戦に参戦
昭和20年7月14日 トオン
昭和20年7月20日〜26日 プゴ
昭和20年8月5日〜9月1日 ピナパガン〜終戦
昭和20年9月1日〜9月12日 ウルトガン
昭和20年9月16日 ヨネスにて武装解除
(参考:村田三郎平著 『最前線爆雷製造部隊』 風媒社 1977年第1刷)
(平成23年10月23日追記)
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