平成18年2月22日
長承2年4月7日(1133年5月13日)〜建暦2年1月25日(1212年2月29日)
法然は房号、諱は源空、諡号は円光大師など。
9歳で父親を亡くし、久安3年(1147年)に延暦寺に上り、皇円こうえんを師として出家。
西塔の黒谷に遁世して、滋眼房叡空えいくうの弟子となり、法然房源空と名乗る。
安元元年(1175年)、43歳のときに専修念仏に帰し、浄土宗の開創をめざした。
まもなく延暦寺を降りて、東山吉水で自己の所信を広め、隆寛りゅうかん・親鸞しんらん・九条兼実かねざねほか多くの弟子・信者を獲得したが、旧仏教勢力の迫害を受けた。
承元元年2月に讃岐に流され、同年12月に許された。
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法然上人御誕生850年慶賛記念 勢至せいし丸さま 法然上人御幼名 (東京都江東区白河1−3・霊巖寺) れいがん寺幼稚園 創立25周年記念 昭和58年3月 当山第43世 念譽真成代 (平成18年2月22日) |
平成18年2月22日
東京都港区芝公園4丁目・増上寺でお会いしました。
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「幼少の法然さま」像 (増上寺) (平成18年2月22日) |
平成21年9月13日
福島県東白川郡棚倉町・蓮家寺でお会いしました。
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『勢至丸さま』像 (福島県東白川郡棚倉町・蓮家寺) (平成21年9月13日) |
落成記念表白文
蓮家寺は慶長8年秀哲上人の開山にてその宗旨は 法然上人の真髄 往生之業念佛為先 即ち極楽浄土に救われんためにはまず阿弥陀さまの御名を称えよ に従う
蓮家寺建立の願主は佐竹氏代官蓮池主水と糟家彌兵衛にて両名の蓮と家とをとりて蓮家寺と号す
當山第4世敬蓮社尊譽上人の代 江戸芝の増上寺辨蓮社業譽大僧正が時の3代将軍家光公に尊譽上人の信仰上の奇蹟を話されたところ 家光公感嘆して御朱印15石下付され 以来御朱印寺院として東北名刹の格を営む
しかし4百年の無常は近年とみに本堂山門を始めとする境内の荒廃とあらわれたが為に檀家信徒の喜捨を仰ぎ 本堂山門屋根修理及び境内環境整備を行い 落成の法要を務め蓮家寺本尊前に奉告し ここに念佛の声いよいよ高く如来を慕うことますます深く法燈護持確かに宗祖法然上人の恩に報い奉らんことを願う
昭和62年10月28日
大泉山寶池院蓮家寺第26世行譽良哉識
(碑文より)
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蓮家寺山門 (福島県東白川郡棚倉町・蓮家寺) (平成21年9月13日) |
棚倉町指定重要文化財
蓮家寺れんげじ山門
慶長8年(1603)この地を支配した代官彦坂小刑部ひこさかこぎょうぶの家臣であった蓮池主水はすいけもんどと糟屋彌兵衛かすややへいは浄土宗の信者でしたが、浄土宗の寺がないため塙の秀哲上人しゅうてつしょうにんを招請し、精舎しょうじゃを建立しました。
当時は阿弥陀寺といっていましたが、まもなく開創の施主両名の名をとり蓮家寺としました。
安永6年(1777)に冠木門かんぎもん・黒門・山門(楼門)の三門が建立され、これを総称して蓮家寺三門と呼ばれましたが、明治2年(1869)の火災で山門(楼門)だけが残りました。
建立当時は赤く紅殻べんがらが塗られて「城下の景観なり」とうたわれました。
このような規模の二層の山門は数少なく寺社建造物として、その価値は高く貴重な遺産です。
昭和55年5月31日指定
棚倉町教育委員会
(説明板より)
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蓮家寺 (福島県東白川郡棚倉町棚倉新町131) (平成21年9月13日) |
平成18年10月18日
埼玉県深谷市・西運寺でお会いしました。
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『宗祖法然上人旅立之像』 (埼玉県深谷市・西運寺) (平成18年10月18日) |
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西運寺 (埼玉県深谷市深谷町3−81) (平成18年10月18日) |
西運寺
浄土宗、寂定山弘道院じゃくじょうざんぐつういんと称し、下総国しもうさのくにの弘教寺ぐきょうじの末寺である。
開山は徳蓮社方誉とくれんしゃほうよで弘治元年(1555)に没した。
深谷城主松平康直も深く当寺を信仰した。
慶安3年(1650)幕府より寺領16石の御朱印を受けた。
境内の二十三夜堂は「さんやさま」として23日の縁日には遠近の人々の参詣で賑わった。
境内には杉田因幡すぎたいなばの墓がある。
因幡は幼少より深谷上杉家に仕え、戦功を立てて重臣となり、天正18年(1590)豊臣秀吉関東攻略の際、秀吉方の前田利家と浅田長政の許もとに城明け渡しの軍使として赴き深谷の町を戦禍から救った。
朱印状、朱印箱と因幡の宝篋印塔ほうきょういんとうが市の文化財に指定されている
昭和60年3月
深谷上杉顕彰会(第十九号)
(説明板より)
平成21年11月4日
岩手県盛岡市・円光寺でお会いしました。
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『旅立ちの法然さま』像 (岩手県盛岡市・円光寺) (平成21年11月4日) |
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円光寺 (岩手県盛岡市南大通3−11−49) (平成21年11月4日) |
【浄土宗】
浄土宗の開祖は法然房源空である。
その門徒は、宇都宮氏、塩谷氏、大胡氏など関東の御家人に多い。
併せて、その門流に連なる僧たち、つまり、親鸞、住信、良忠なども、常陸・北下総を拠点として、師の教えを広めている。
親鸞は浄土真宗の開祖であるが、関東では専ら法然の教えを広めることが第一義であった。
(参考:『特別展 常陸南北朝史〜そして、動乱の中世へ〜』 茨城県立歴史館 平成26年2月発行)
(令和2年9月30日 追記)
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青龍寺 (京都市東山区下河原通八坂鳥居前下ル3丁目南町411) (平成19年3月17日) |
青龍寺せいりゅうじ
見性山と号し、浄土宗鎮西ちんぜい派に属する。
延暦年間(782〜805)桓武かんむ天皇の勅命によって小塩おしお山(右京区)に建てられ、もと大宝寺と称したが、平安遷都とともにここに移ったという。
その後荒廃していたが、建久3年(1192)法然の弟子見仏けんぶつが再建し、法然を招き、別時念仏の道場として引導寺と改めた。
さらに寛永年間(1624〜1643)霊巖れいがんによって青龍寺と改称された。
本堂に安置する本尊聖観音像は平安時代の作品で、伽羅きゃら観音ともいい、桓武天皇が伝教でんきょう大師にに命じて、唐から渡来した伽羅の木で彫刻させられたものと伝える。
本堂の前にある大小二つの石を念仏石といい、むかし見仏らが六時礼賛らいさんを行うとき、鏡のかわりにこれを叩いて礼賛の調子をとったという。
京都市
(説明板より)
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法然上人圓光大師墓所 (和歌山県伊都郡高野町・高野山奥の院) (平成21年4月9日) |
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