神雷竜巻 櫻花隊員 練成の地

(海軍航空隊 神之池基地)

茨城県鹿嶋市「櫻花公園」


櫻花公園 櫻花公園
(海軍航空隊 神之池基地)

現在の鹿島製鉄所の敷地内に、太平洋戦争末期、海軍航空隊神之池基地が設置され、特攻兵器”櫻花”の訓練が行われました。
櫻花公園は、先の大戦の記憶が風化していく中、土地の歴史を記念し、平和を祈る公園として平成5年12月3日開園されました。
園内には俺体壕・櫻花碑があり、壕内には櫻花の復元機を展示しています。

(説明板より)

櫻花公園 櫻花の碑遠景
神雷竜巻 櫻花隊員 練成の地
「櫻花」の碑
櫻花の碑

碑文
太平洋戦争も一段と熾烈を極めた昭和19年10月1日、祖国日本の荒廃をその一身に背負おうと志願してきた紅顔の若者達は海軍百里原航空隊で、特別攻撃隊櫻花隊を結成、同年11月7日この神之池に訓練基地の設置を見た。
やがて神之池基地で至難な訓練を受けた若者たちは九州最南端の鹿屋の野里村に移り、鹿屋を特攻基地として祖国の国難に殉じて行ったのである。
云わば神之池は特別攻撃隊発祥の地として、わが日本国民として忘れてはならない、祖国の存立を護った尊い大和魂の故里である。

掩体壕 掩体壕
掩体壕の中の桜花11型 掩体壕の中の桜花

掩体壕(えんたいごう)
昭和19年4月 神之池海軍航空隊がこの場所(現在の住友金属工業(株)鹿島製鉄所敷地となっている所)に開設され、ここで予科練や予備学生出身の将兵達が訓練していました。
戦争が激しくなるにつれ、721航空隊と改称され神雷部隊として特攻機「桜花」の訓練基地となりました。
この飛行場には、一式陸攻という双発機や零戦という戦闘機等が配備され、それらの飛行機を敵の襲撃から守るため格納庫から「掩体壕」に移しました。
この掩体壕は上部を土で覆い、草や木を植えて敵機からわからないようにしたものです。
このような掩体壕は飛行場周辺に十数箇所ありましたが現在ではこの掩体壕だけが残っています。

掩体壕概要
主要寸法:高さ 4.4m  間口 15.3m  奥行 13.0m
構造:コンクリート構造  コンクリート厚 25〜70cm
工法
土で造った山の上に金網を敷きその上にコンクリートを流し、固まったあと、内部の土を掻き出して造られた、アーチ式構造で当時としては大規模なものである。

(説明板より)


桜花

発案者:大田正一少尉(偵練20期)
      昭和20年8月17日、神ノ池基地から零式練習戦闘機を操縦して鹿島灘へ飛び去り行方不明。
      後、漁船に救助され、改名して生存していたことが判明。
      平成6年12月7日に逝去。

設計者:三木忠直技術少佐(海軍航空技術廠第3班)

神雷部隊(第721航空隊)

昭和19年8月中旬、第一線部隊を除く内地と台湾の航空隊にて桜花搭乗員の募集を行う。
昭和19年10月1日、応募者の中から200名を選抜し、百里ヶ原ひゃくりがはら(茨城県)にて第721航空隊を編成。
司令:岡村基春もとはる大佐(海兵50期)
     後に、昭和23年(1948年)7月13日、千葉県の茂原付近で鉄道自殺をする。
昭和19年11月7日、神ノ池こうのいけ基地(茨城県)に移転。
昭和19年11月末、4個分隊編制となる。
     攻撃711飛行隊・攻撃708飛行隊(一式陸攻24型丁)
     戦闘306飛行隊・戦闘307飛行隊(零戦)
     桜花隊(桜花)
昭和19年12月26日、第一陣(桜花隊第2・第3・第4分隊)が大分基地に進出。
昭和20年1月20日、桜花隊(第2・第3・第4分隊)・攻撃708・711飛行隊・戦闘306・307飛行隊は九州各地に展開。更に戦闘305飛行隊が編入される。第2陣の桜花第1分隊は神ノ池基地に残留。

竜巻部隊(第722航空隊)

『神雷部隊』の主力が南九州へ展開したのち、桜花第1分隊を基幹として14期飛行予備学生30名(第2美保空より15名、博多空より15名)と第13期甲種飛行予科練習生100名等総勢200名以上の隊員が配置される。
昭和20年2月15日、第722航空隊を編成。
神ノ池基地内の竜巻山から名前を取って『竜巻部隊』と称した。
終戦まで桜花搭乗員の養成と桜花部隊損耗の補充にあたる。

(平成16年6月6日記)
(平成18年8月7日改訂追記)


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