コンドル像 平成19年4月7日

コンドル Josiah Conder

1852年9月28日〜大正9年(1920年)6月21日

東京都・東京大学の構内でお会いしました。


イギリス人建築家。
英語読みは「コンダー」。
工部大学校造家学教師として、明治10年(1877年)1月に来日。
辰野金吾・片山東熊とうくまらを育て、『日本近代建築の父』と称される。
上野博物館・鹿鳴館などを設計。
解雇後も日本に留まり、邸宅を中心に数多くの作品を遺す。
東京のニコライ堂・岩崎邸・島津邸・古河邸、桑名の諸戸邸などが現存。
日本の庭園・衣装に関する著作があり、日本文化の紹介者としても名高い。


コンドル像



CONDER像

(東京都文京区本郷7−3−1・東京大学構内)





(平成19年4月7日)

旧古河庭園

旧古河庭園
(東京都北区西ヶ原1−27−39)

陸奥宗光邸跡

(平成22年2月9日)

庭園の案内

この庭園の敷地は、もとは明治の元勲陸奥宗光の別宅でした。
その後古河家が譲り受け、三代目当主の古河虎之助が大正3年頃に本来の敷地は本宅用地とし、新たに隣接地を買収して、庭園としたのが始まりです。
時を経て、国に所有権が移り、地元の要望などを取り入れて東京都が整備したのち昭和31年4月から公開しました。
この庭園の特徴は、武蔵野台地の南斜面という地形を活かし、この高台にゴシック様式の洋館を配しそのまわりと前面の斜面は明るい洋風庭園とし、連続する低地には池泉を中心とした和風庭園をつくり、これらを一体としたことにあります。
設計にあたっては、鹿鳴館や、ニコライ聖堂などを手掛けた英国人ジョサイア・コンドル(1852〜1920)が洋館並びに洋風庭園を受け持ちました。
また、和風庭園は、京都の平安神宮や無隣庵を作庭したことで知られる京都の著名な庭師、植治こと小川治兵衛(1860〜1933)の手によるもので、地形を活かした日本の伝統的な庭園を見事に造りあげています。
当庭園は、大正期の原型を留める貴重なもので、昭和57年8月4日に東京都文化財として指定され今日に至っていましたが、近代の庭園の中でも極めて良好に保存され、和洋の見事な調和を実現している秀逸で代表的な庭園として、平成18年1月26日、国の名勝に指定されました。

(説明板より)

洋館   庭園
洋館   洋館

コンドルの墓



コンドルの墓
(東京都文京区・護国寺





(平成18年12月23日)

コンドル墓 区指定史跡

ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)は1852年ロンドンに生まれ、大学で建築学を学び、のち、日本政府の要請により明治10年(1877)来日した。
当時我が国は文明開化政策の中で各国より幾多の文化をとり入れたが、西洋建築に関しては手さぐりの状態であった。
彼は、工部大学校(東京大学工学部の前身)教授として学生を指導するかたわら、鹿鳴館・ニコライ聖堂・岩崎邸・旧古河邸等多くの建築物をつくり、我が国の近代建築の基礎形成に貢献した。
また、辰野金吾、片山東熊とうくま、曾禰達蔵ら多くの俊才を育てた。
一方、『日本の造園』、『日本の華道』を著すなど、日本研究の分野でも活躍し、我が国の文化・芸術を海外に紹介した。
日本を愛したコンドルは、日本女性クメ夫人とともにこの地に永眠している。

文京区教育委員会
昭和61年3月

(説明板より)


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