輜重兵第29連隊

(通称号:満洲303部隊)

編成地 編成時期 終戦時の所在地
愛知県名古屋 昭和16年 グアム島・テニアン島で玉砕、一部満洲

慰霊の碑



「慰霊」の碑

(愛知県名古屋市・愛知県護国神社




(平成15年11月28日)

碑文

陸軍第29師團輜重兵第29聯隊は昭和16年7月20日名古屋に於いて編成
9月6日満洲國奉天省遼陽に移動 通稱号満洲第303部隊と成る
爾来猛訓練を重ね關東軍予備隊として北辺鎮護に任ずること2年7ヶ月
昭和19年2月19日 突如第29師團に動員令下り直ちに転進 中部太平洋マリアナ諸島方面の防衛に当った
途中敵潜の雷撃を受け台湾沖に於いて海没の悲運に遭遇する者あり
サイパン テニアン グアム島に上陸した部隊は敵の迎撃戦下に屍を築く悲壮極りなき戦闘の末玉砕するに至った
残った兵力は 東部満洲の牡丹江省樺林等に転属その後ソ満國境 熱河省承徳 萬里の長城辺りの警備につくもの 再び遼陽の兵舎に入った者もあった
昭和20年8月9日未明 日ソ不可侵条約を破ってソ聯軍の進駐 8月15日の終戦をむかえた のち シベリヤに渡り森林伐採 遼東半島にソ聯軍の飛行場 防衛道路など 幾多の軍事基地構築に当り 國家賠償の厳しい労働に果せられて幾歳
故国の土を踏むこともなく 寒さと飢えのため他國の土に化していった友も多かった
戦火は遠く38年の彼方に去り 亡き戦友への思い止み難く 茲に関係の戦友相計り戦没の御霊を鎮め 慰霊の塔を建立し 永く御冥福を祈念すると共に その御遺徳をこの碑に刻む

昭和58年3月吉日 輜重兵第29連隊

戦没者名簿並びに一部戦歴の細部を史にまとめ現地から持ち帰った砂石と共に碑底に埋蔵してあります
碑文と中央の花崗岩の原石は旧満州國南部地域から田中英太郎氏持ち帰り寄贈されたもの


昭和19年2月の中部太平洋方面に転用の時に海洋師団編制に改編され師団輜重隊に縮小されました。
第1中隊=歩兵第38連隊補給中隊に編入
第2中隊=歩兵第50連隊補給中隊に編入
第3中隊=師団輜重隊に改編

師団輜重隊は乗船遭難、洞下隊長は戦死、生存者はサイパン島に上陸し、グアム島で再建されましたが歩兵第38連隊補給中隊と共にグアム島で玉砕しました。
サイパン島上陸の歩兵第50連隊補給中隊は、テニアン島に移動して同島で玉砕しました。



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