平成23年2月10日

前野良沢 まえの・りょうたく

享保8年(1723年)〜享和3年10月17日(1803年11月30日)

大分県中津市・中津城でお会いしました。


号は楽山または蘭化。
古方医の伯父・宮田全沢に感化を受けた。
青木昆陽にオランダ語を学び、長崎へ遊学してオランダ通詞に学び、蘭書を購入して帰府。
明和8年(1771年)3月4日、江戸千住小塚原で腑分ふわけを観察、『ターヘル・アナトミア』の正確さに驚嘆する。
翌日から築地鉄砲洲の中津藩邸内にある良沢の宿所で、杉田玄白、中川淳庵らと会読を開始し、オランダ語の教授と翻訳の主力となった。
その成果が、安永3年(1774年)に公刊された『解体新書』だが、良沢は自分の名の掲載を拒絶した。
訳書に『蘭語随筆』『字学小成』『和蘭訳文略』『和蘭訳筌』『和蘭点画例考補』など語学書をはじめ、世界地理・築城書がある。





前野良沢木像
中津城

中津ロータリークラブ創立50周年記念展示



(平成23年2月10日)

【前野良沢木像】

平成16年3月13日
 福岡県田川郡
   永原陽宝 作
     (初義)70歳

前野良沢(1723〜1803)

中津藩医前野東元の養子で青木昆陽、吉雄耕牛に蘭学を学びターヘル・アナトミアの翻訳の中心的役割を果たして「蘭学の鼻祖」と呼ばれている。
翻訳書は「解体新書」として安永3年(1774年)に杉田玄白たちによって出版され日本の蘭学研究の出発点となった。
生涯を蘭学研究に費やしたため藩主奥平昌高公より「和蘭人の化け物」と称され、墓標には「前野蘭化」という名前が刻まれている。

(説明木板より)


慶応義塾発祥の地・蘭学の泉はここに



「慶應義塾発祥の地」の碑(手前)
「蘭学の泉はここに」の碑(奥)
(東京都中央区明石町・聖路加国際病院斜め前)




(平成18年2月22日)

「慶応義塾発祥の地」碑・碑文

安政5年福沢諭吉この地に学塾を開く。
創立百年を記念して昭和33年慶応義塾これを建つ。

慶応義塾の起源は1858年福沢諭吉が中津藩奥平家の中屋敷に開いた蘭学の家塾に由来する。
その場所はこれより北東聖路加国際病院の構内に当る。
この地はまた1771年中津藩の医師前野良沢などがオランダ解剖書を初めて読んだ由緒あるところで、日本近代発祥の地として記念すべき場所である。

1958年4月23日除幕

「蘭学の泉はここに」碑・碑文

(前面)
1771年・明和8年3月5日に杉田玄白と中川淳庵とが前野良沢の宅にあつまった。
良沢の宅はこの近くの鉄砲州の豊前中津藩主奥平の屋敷内にあった。
3人はきのう千住骨が原で解体を見たとき、オランダ語の解剖書ターヘル・アナトミアの図とひきくらべてその正確なのにおどろき、発憤してさっそくきょうからこの本を訳しはじめようと決心したのである。
ところがそのつもりになってターヘル・アナトミアを見ると、オランダ語をすこしは知っている良沢にも、どう訳していいのかまったく見当がつかない。
それで身体の各部分についている名をてらしあわせて訳語を見つけることからはじめて、いろいろ苦心のすえ、ついに1774年・安永3年8月に解体新書5巻をつくりあげた。
これが西洋の学術書の本格的な翻訳のはじめて、これから蘭学がさかんになった。
このように蘭学の泉はここにわき出て、日本の近代文化の流れにかぎりない生気をそそぎつづけた。

(裏面)
1959年・昭和34年3月5日
第15回日本医学会総会の機会に

日本医史学会
日本医学会
日本医師会

日本近代文化事始の地


日本近代文化事始の地
「慶応義塾発祥の地」
「蘭学の泉はここに」
1982 2月3日


(東京都中央区明石町・聖路加国際病院斜め前)


(平成18年2月22日)



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