平康頼 たいらのやすより

生没年不詳


阿波国の住人で、後白河上皇の側近。
北面の武士となる。
治承元年(1177年)鹿ケ谷ししがたにの謀議に加わり、俊寛しゅんかんらとともに鬼界ヶ島に配流された。
翌年、大赦により帰洛して双林寺に籠居。
文治2年(1186年)源義朝の墓に水田と小堂を寄進した恩賞として、源頼朝から阿波国麻殖保おえのほ(現・徳島県鴨島町)を与えられた。
今様の名手として知られ、説話集『宝物集』の作者。
和歌をよくし、『千戴和歌集』に入集。


平康頼の墓



平判官康頼卿墓
(愛知県知多郡美浜町・野間大坊)





(平成18年4月3日)
大御堂寺本堂



大御堂寺本堂

(愛知県知多郡美浜町・野間大坊)

現在の建物は3度の火災等にあり宝暦4年(1754)に鎌倉様式にのっとり再建された。



(平成18年4月3日)

寺院沿革

正式には鶴林山大御堂寺おおみどうじ(通称:野間大坊のまだいぼう)といいます。
その歴史は古く天武天皇(673〜86)の時代に始まり聖武天皇(723〜49)の時、行基菩薩が中興します。
後に弘法大師が諸国行脚の際留錫し、一千座の護摩を焚き、庶民の幸福を祈りました。
承暦年間(1077〜81)に白河天皇の勅願寺として、大御堂寺と称せられました。
後に源頼朝公が亡父義朝公の菩提を弔うために建久元年(1190)に開運延命地蔵尊と不動明王・毘沙門天を奉安され、七堂伽藍を造営します。
そして秀吉公、家康公の庇護を受けて発展。
現在尾張地方随一の祈祷寺として信仰を集めています。

(リーフレットより)



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