文政10年5月6日(1827年5月31日)〜明治36年(1903年)8月27日
肥前国長崎生まれ。
長崎オランダ商館医師・シーボルトと「たき」の間に生まれ、シーボルトの国外追放後、宇和島藩の外科医に預けられた。
通詞にオランダ語を学び、のち岡山の石井宗謙、長崎の阿部善庵や蘭医のポンペらに産科医術を学んだ。
シーボルトの門人・大村益次郎の江戸出府に従って上京、東京府京橋区築地(現、中央区)で産科を開業した。
女医イネ発祥の地 (愛媛県西予市宇和町卯之町3丁目・二宮敬作住居跡) (平成19年11月7日) |
女医イネ発祥の地(二宮敬作先生住居の跡) (愛媛県西予市宇和町卯之町3丁目) (平成19年11月7日) |
女医イネ発祥の地(二宮敬作先生住居の跡) (愛媛県西予市宇和町卯之町3丁目) (平成19年11月7日) |
女医イネ発祥の地
文政10年(1827)父ドイツ人シーボルト母其扇(本名滝)との間に長崎で出生。
天保11年(1840)14才から5年間卯之町で二宮敬作の指導により日本初の女医が誕生した。
安政元年(1854)同3年再度来卯。
敬作から一般医学、宇和島藩出仕の村田蔵六から蘭学を学び産科医に成長した後、上京し宮内省御用掛など大きな足跡を残し、明治36年76才で世を去った。
宇和町教育委員会
財団法人宇和郷土文化保存会
(説明板より)
文化元年 | 1804 | 二宮敬作、磯津村磯崎(保内町)に生まれる。 この頃、漢方医学を学び医者になることを決意する。 |
文政 2年 | 1819 | 長崎に遊学し、吉雄塾で蘭学、美馬順三に蘭方医学を学ぶ。 |
文政 6年 | 1823 | シーボルト長崎に来る。 美馬順三・敬作等多数入門する。 |
文政 8年 | 1825 | 高野長英、シーボルトの門下生となり、敬作等と鳴滝塾で学ぶ。 |
文政 9年 | 1826 | オランダ商館長・シーボルト等と江戸へ行く。(江戸参府随行) 富士山を測量する。(文政11年説が有力)(誤差18.5m) |
文政10年 | 1827 | シーボルトと、たきの娘イネ、長崎で生まれる。 |
文政11年 | 1828 | シーボルト事件起こる。 |
文政12年 | 1829 | シーボルトに帰国命令。 敬作はイネの養育を頼まれる。 シーボルト事件の巻き添えで敬作等23人の門弟、連座して入獄。 |
文政13年 | 1830 | 敬作、許されて帰郷。(伺いの上、江戸構、長崎払の刑) |
天保元年 | 1830 | 敬作、上須戒で西イワと結婚。 同所で蘭方医開業。(約2年半) |
天保 4年 | 1833 | 敬作、宇和島藩主伊達宗紀の内命もあって、卯之町で蘭方医開業。 |
天保 5年 | 1834 | 敬作の母シゲ死亡。 |
天保 9年 | 1838 | 長男・大作死す。 |
天保10年 | 1839 | 敬作の甥・三瀬周三(諸淵)、大洲で生まれる。 |
天保11年 | 1840 | イネ14歳、敬作を頼って卯之町に来る。 |
弘化元年 | 1844 | 高野長英、小伝馬町の獄舎を脱出。 |
弘化 2年 | 1845 | イネ、卯之町を去り、岡山の石井宗謙の許で産科を修業。 |
弘化 4年 | 1847 | 敬作の父・六弥死去。 |
嘉永元年 | 1848 | 長英、宇和島に潜伏。 |
嘉永 2年 | 1849 | 長英、敬作を頼って卯之町へ。 敬作の離れ二階や渡辺邸にもかくまわれる。 |
嘉永 3年 | 1850 | 敬作、藩から許されて卯之町大念寺に薬草を栽培。 長英、江戸で死す。 |
嘉永 5年 | 1852 | イネ、長崎に帰り、宗謙の子・タダ(のち、高子)を出産する。 |
嘉永 6年 | 1853 | 村田蔵六(大村益次郎)、宇和島藩に出仕、卯之町にも立ち寄る。 |
安政元年 | 1854 | イネ、敬作のもとで産科・蘭学を学ぶ。 |
安政 2年 | 1855 | 敬作、御徒格に仰せつけられる。 |
安政 3年 | 1856 | 敬作、イネ・周三を伴って宇和島藩命で長崎に遊学。 イネ産科修業。 |
安政 5年 | 1858 | 敬作の妻・イワ、卯之町で死去。 |
安政 6年 | 1859 | シーボルト再渡来、イネ、滝、敬作ら再会を喜ぶ。 周三、シーボルトの門に入る。 イネ、ポンペに産科を習う。 |
万延元年 | 1860 | 敬作、長崎出張中に扶持給与中止となる。 |
文久元年 | 1861 | 敬作、中風にかかる。 シーボルトは幕府の顧問となり、周三を連れて江戸へ行く。 |
文久 2年 | 1862 | 3月、敬作、長崎で死去。 墓は長崎と開明学校裏に(分骨)ある。 イネ、ボードインに産科を学ぶ。 同年、タダを連れて宇和島へ周三の釈放運動に来る。 |
慶応 2年 | 1866 | イネ、マンスフェルトに産科を学ぶ。 周三、高子(タダ)と結婚。 |
明治 2年 | 1869 | イネ、楠本新兵衛(たき)死亡により家督相続。 |
明治 3年 | 1870 | イネ、東京府京橋区築地一番地において産科医を開業。 |
明治 6年 | 1873 | 福沢諭吉が杉孫七郎に「いねが宮内省御用掛に召し出されたので頼む」と依頼。 イネ、宮内省御用掛を拝命。 |
明治10年 | 1877 | 三瀬周三、没す。(38歳) |
明治17年 | 1884 | 産婆免許鑑札願を履歴明細書・保証書を添付して長崎県令宛提出。 |
明治22年 | 1889 | イネ、長崎より上京。 |
明治36年 | 1903 | イネ、8月26日、麻布区板倉片町28番地において死亡(77歳)。 |
(参考:『宇和文化の里』)
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