青森県護国神社

青森県弘前市下白銀町1番地3号 (弘前公園 四の丸)


 平成21年11月2日

ここは平和の杜もりです

このお社やしろは青森縣護國神社といいます。

青森縣護國神社は、津軽藩主津軽承昭つぐあきら公の思おぼし召しにより箱舘はこだて戦争の戦没者慰霊のため、明治3年に創建され、明治43年3月に弘前招魂社しょうこんしゃとして現在地に移築、昭和11年8月青森縣招魂社となり、昭和14年4月、一府県いっぷけん一社いっしゃを原則とした内務大臣指定護國神社となったものです。
この神社には、幕末・明治維新以来、日清戦争・日露戦争・大東亜戦争など多くの戦いで、日本の平和と美しい山河や愛する家族を護るために亡くなられた、青森県出身2万9171柱の方々の御霊みたま―「英霊」が神様としてお祀りされています。

いま、こうして私たちが平和で豊かに暮らしていられるのは、国の危機に際して尊い命を捧げられた「英霊」のおかげであることを、決して忘れてはなりません。
青森縣護國神社にお参りし、英霊に感謝の気持ちを伝えましょう。

青森縣護國神社

(説明板より)

平和の道標みちしるべ

ふりかえってみよう、平和の原点
〜往時を思い感謝の心を〜

いまの私たちは、平和で豊かな暮らしを当たり前のように思っていますが、今から百年ほど前は、決してそうとばかりは言えませんでした。
当時の世界は、国家の舵取りを誤れば、いつ西欧諸国に支配されるか分からない時代だったのです。
このような時代に近代国家としての産声を上げたわが国は、自らの生存と独立を護るため幾度か戦わざるを得ませんでした。
今の平和と豊かな暮らしは、国の危機に際して尊い命を捧げられた「英霊」のおかげであることを、決して忘れてはなりません。

「私たちの今」と、どこかで必ず繋がっている英霊にあなたからひとこと「ありがとう」と伝えてください。

青森縣護國神社

(説明板より)

青森縣護國神社

明治時代の幕開けとなった戊辰ぼしん戦争(慶応4年)には、わが津軽藩からも倒幕軍として出兵、箱館五稜郭の戦いなどにおいて尊い戦死者を出しました。
明治2年6月6日、時の藩公津軽承昭つぐあきらは藩士67柱の戦没者を弘前城下宇和町(現弘前市常盤坂りんご公園)においてねんごろに慰霊しました。
これが青森縣護國神社としての神事のはじまりです。
翌明治3年3月9日には弘前市に隣接する富田村に堂宇14坪の招魂堂を建立し、羽州庄内、奥州南部、松前箱館の役などで戦没した弘前藩の諸霊と、肥後熊本細川藩士の応援犠牲者も加え200人余を合祀しました。
明治21年12月に弘前市上白銀町(現藤田記念庭園)に招魂堂を移築、さらに、明治43年1月には弘前公園内の現在地に移築されて「弘前招魂社」と称することになりました。
昭和11年にいったん「青森県招魂社」と称しましたが、昭和14年に内務省令第12号により「青森縣護國神社」と改称、内務大臣指定の護国神社となりました。
昭和20年、日本の敗戦にともなって、連合国軍総司令部は信教の自由の名のもとにさまざまな形で神社活動への妨害を加えてきました。
当神社は、これに対して神社と関係者の力を結集し、勇気と英知をもって護国神社の名称を守った全国4社のなかの1社です。
現在は単立の宗教法人として、2万9171柱(靖国神社合祀)の青森県を本籍とした軍人軍属の御神霊を祀っております。

(リーフレットより抜粋)

弔戦没諸霊碑



弔戦没諸霊碑

明治3年建立




(平成21年11月2日)
表忠碑




表忠碑






(平成21年11月2日)

表忠碑
陸軍少将大勲位功三級貞愛親王篆額

歩兵第五聯隊者第二師區之属也營子青森従討清之役始于山東省終于臺湾其凱旋實在本年五月頃者青森縣人高橋荘之進等胥謀欲建一大碑不朽其功来讀余文初第二軍自花園溝進既■旅順之険将逼威海衛於是第二師團亦奉命出征航到大連湾轉上榮城湾衝威海衛背當此時第三聯隊属左縦隊■温泉湯■亭集等敵又與威海衛潰兵遇撃走之又航還金州将進衛北京會和議成令諸軍凱旋両第二第四師團駐遼東既而臺湾土匪蜂起杭王師乃抽■第二師■為混成第四旅團赴援第五聯隊亦與馬進■臺湾府戝而賊魁劉永福據臺南不屈永福嚢在安■數與佛兵戰有驍名将士皆思■之會第二師團之在遼東者亦来■■■謀三面合撃部署所向自遼東来者出背後近衛師團自本道■成旅團回到布袋港登■沿海而進戝聚衆専拒■路高壘深塹■據深篁或■密樹極■杭拒第五聯隊實為前衛戰最力進到臺南永福逃走永福既逃衆匪悚脈■銃棄■降者相續旅是掃蕩之功全竣顧第二師團余所同艱苦共死住経山東■寒之郷戰南■炎熱之地将士之■瘴癘者不鮮皆曰敵兵脆弱不足畏唯怖疫癘之来襲耳■苟非将士之忠勇心■如■■能得全其功乎後之観此碑者可不思所以振揚之継紹之■乃係以銘曰
   師直為壮 曲何得櫻 士気既奮 前無堅城 旅順■矣 威海又平
   敵國震悚 割地請盟 桓桓■■ 争先従征 一東臺湾 赫赫功成
   師乎凱旋 老幼歓迎 勒功貞石 永傳英名

明治二十九年五月
陸軍中将正三位勲一等子爵佐久間左馬太撰
陸軍少将正四位勲二等功三級男爵児玉源太郎書

(碑文より)

招征清戦没青森縣諸子之霊魂

明治三十一年一月

(裏の碑文)

工藤行幹君の碑




工藤行幹君碑






(平成21年11月2日)

碑文

君諱行幹稱峯次郎弘前藩士為人精悍■■戊辰変論國事■■禁錮既而遭赦擢参軍助■奔走有功事平歴官民部省及三重青森諸縣皆有聲譽■有所感断然辞職以擁護憲政為巳任國家創議政府選為衆議院議員爾来更■數次皆■其論國事■〃諤〃不■忌諱衆■誠■為全院委員長常慨外政不振創國民同盟會以策東洋和平露國開■君■奉勅議軍須特授勲四等既而獲疾■没年六十四天下聞者皆■焉今茲仝志相謀樹碑 ■不朽之

外崎覺撰文  犬養毅


(裏の碑文)
憲政本党青森縣支部 外有志
工事担当員 石■谷中九郎
明治四十二年九月十二日建之

蒲田廣君の碑




蒲田廣君碑






(平成21年11月2日)

碑文

君諱■英次郎弘前藩士手塚玄端次男出継蒲田氏為人沈摯而敦厚初委■教育以東奥義塾新興為其任後有所感■入大同改■■弘前市會議員為議長無■■青森縣會議員■■参事會員副議長等要務傍在東奥日報■新聞事又■慨地方公共事業不振奨励之■為憲政本黨策時務言〃■功有當而謙遜不驕人脈其徳為衆議院議員候補不幸罹病不起實明治壬寅二月二十八日得年僅四十八衆惜其不幸短命建碑以■不朽云

外崎覺撰文  犬養毅書

一戸兵衛君の碑




一戸兵衛君碑





(平成21年11月2日)

陸軍大将正二位勲一等功二級 一戸兵衛君碑
 閑院宮載仁親王 篆額

明治大正昭和ノ三朝ニ歴任シ品性純正操持堅實尊皇尚武ノ精神ヲ以テ終始ヲ一貫シ滔々タル頽波濁浪ノ外ニ超立シテ隠然中流ノ砥柱ト爲ル陸軍大将一戸兵衛君ノ如キモノ安ソ士道ノ木鐸地ト謂ハサルヲ得ン哉
君ハ陸奥國津軽藩士安政二年六月二十日弘前城下ニ生レ昭和六年九月二日薨ス享年七十七君少小志ヲ立テ身ヲ軍籍ニ投シ明治十年陸軍少尉ト爲リ累進シテ陸軍大将ニ陞リ教育総監軍事参議官ト爲ル其間征清討露ノ二大戰役ニ参加ス其■勲功録シテ戦史ニアリ後学習院長在郷軍人會長■爲り晩年明治神宮宮司ニ任シ神明ニ奉仕スルコト七星霜■々匪躬ノ誠死ニ抵ルマテ渝ル無シ君ノ如キハ百世ヲ通シテ臣節ノ模範的人物ニ幾シ
頃者郷黨ノ士君ノ遺風ニ欽シ碑ヲ建テ之ヲ不朽ニ傳ヘシト欲シ文ヲ予ニ徴ス予乃チ其■■築ヲ揚ケテ之ヲ石ニ勒シ後人■シテ矜■ル所アラシム

昭和八年九月
蘇峰 徳富■一郎 撰
松■ 高山■代  書

軍艦津軽の碑




軍艦津軽之碑


昭和61年8月22日建之



(平成21年11月2日)



 トップページに戻る   護国神社のリストに戻る

SEO [PR] カード比較  冷え対策 温泉宿 動画無料レンタルサーバー SEO