(通称号:旭1163部隊)
編成地 | 編成時期 | ||
創設:広島 再編:熊本 |
創設:? 再編:昭和13年 |
昭和19年10月 ハイラルにて改編・改称 野砲兵第17連隊を編成し廃止となる |
軍縮廃止後、復活。
北満ハイラルの騎兵集団が中国戦線へ転用されたため、満洲に渡る。
昭和14年、ノモンハン事件に出動。
貧弱な砲兵力で圧倒的に優勢なソ連軍と戦い、壊滅状態となり連隊長が自決。
停戦協定後、ハイラルに帰還して再編に着手する。
砲兵火力強化のため、支那駐屯砲兵連隊から九六式15榴弾砲装備の大隊が転入。
昭和16年、関特演(関東軍特種演習)で自動車編成に改編(自動車編成4個大隊)され、九〇式野砲を装備した。
質、量ともにノモンハン事件当時より増強され、北満の防衛に任ずる。
昭和19年、所属する第23師団の比島(フィリピン)派遣により、改編と改称を実施。
野砲兵第17連隊を編成し、野砲兵第13連隊は廃止となる。
銘板より
『部隊跡記念樹』の碑 (広島県広島市中区基町・広島城の堀沿い北西角) (平成22年5月1日) |
野砲兵第13連隊跡 (野砲兵第5連隊と同じ位置?) (広島県広島市中区基町・基町小学校付近) |
慰霊碑 (広島市・比治山陸軍墓地) 歩兵第71連隊 野砲兵第13連隊 輜重兵第23連隊 昭和52年5月建之 (平成22年5月1日) |
戦歿者慰霊碑建設趣意書
ノモンハン事件は昭和14年5月満洲国と外蒙古との国境ノモンハン附近に於て 越境問題に端を発し約5ヶ月に亘り炎熱不毛の草原で戦史に稀れな激戦を繰返し 惨烈悲壮な苦斗を重ね遂に国境防衛の重責を完うした
この間1万2千余柱の戦死者を出し広島県出身者も多数に及んだので 此度歩兵第71聯隊野砲兵第13聯隊輜重兵第23聯隊等関係諸部隊の戦友が遺族と共に英霊の武勲を永久に顕彰する為に縁深い広島の聖地に慰霊碑を建立したのである
昭和52年5月吉日
広島ノモンハン会
(碑文より)
比治山陸軍墓地 (広島県広島市南区・比治山公園) (平成22年5月1日) |
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