宇都宮城 うつのみじょう

栃木県宇都宮市本丸町、旭1丁目(宇都宮市役所東側)


宇都宮城 平成20年7月19日

宇都宮城

宇都宮城は、北関東において、下野三勢力の一つといわれた宇都宮氏の居城であった。
宇都宮氏は北家藤原関白道兼の曾孫・宗円を祖とする関東切っての名族であった。
宗円は平安末の前九年の役(1056)に源頼義に従って参戦。
その功により、下野守護職に任ぜられた。
当初、宇都宮氏は多気城に本拠があった。
多気城は市内大谷にあった小城で、その天険はまさに山城の条件を充分に備えていた。
しかし、下野守護職の居城としては、あまりにも険峻極まり不便でもあったので、宗円はこの地に新城の工を起こしたと言われる。
宇都宮氏はその後、紀党(益子氏)と清党(芳賀氏)に分かれた。
その後、宇都宮氏は下野にあって不動の勢力を形成し、大永3年(1523)、18代忠興は皆川氏を降し、更に結城政朝に対した。
しかし、戦国の世、宇都宮氏内においても謀叛が起こり、芳賀興綱は、主家の城である宇都宮城に入城し、自ら宇都宮氏を名乗った。
その後、清党の血統が続き、小田原北条氏と対することになったが、北条勢力と対峙すること50年、ついに豊臣秀吉の小田原に及んだ。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の陣中に宇都宮国綱が訪ね、宿敵北条氏に対した。
やがて、北条氏が滅亡すると、18万石の下野領を安堵され、新たに近世大名として歩むこととなった。
しかし、その後、宇都宮氏は悲運の道をたどることとなる。
秀吉の太閤検地により、下野領内を浅野長政が調べたところ、18万石はおろか30万石に達したため、国綱は所領を没収、備前に配流の身となる。
国綱は文禄の役に出兵してからのち、長政の二男・長重を宇都宮氏の養子になることを秀吉から勧められた。
しかし、国綱の弟・芳賀高武が強硬に反対したため破談となる。
国綱失脚の裏に秀吉の勘気があったといわれている。
こうして宇都宮氏の22代、530余年の下野支配は終わった。
新城主は浅野長政である。
長政の入城後、半年を経て、会津若松より蒲生秀行が入封。
更に大河内金兵衛、奥平家昌、忠昌などと替わり、元和5年(1619)には本多正純が15万石をもって入城。
正純は「宇都宮釣天井」で名高いが、この話は後世の作り話である。
本来の失脚の理由は、先代城主・奥平忠昌の母・亀雄(将軍秀忠の姉)からの恨みによるものという。
正純ののち、再び奥平氏、更に松平弘忠、本多忠泰、奥平昌章、阿部正邦と転々とし、明治を迎える頃には戸田氏が城主であった。
城は、名城と謳われる通り、四重に巡らされた堀と輪郭式、梯郭式併用の回輪配備をなすもので、16基の櫓を要所に置き、広大な水堀の様子は、その絵図により、知られている。
建物の多くは、戊辰戦争の折、江戸から敗走する幕軍に放火され、炎上、灰無となった。

(参考:大類伸監修『日本城郭辞典』)

宇都宮城の歴史とは?

○宇都宮城のはじまり
宇都宮城の基を築いたのは、藤原秀郷ふじわらのひでさととも藤原宗円ふじわらのそうえんともいわれていますが、おおむね平安時代後期に築かれたものと考えられています。

○中世の宇都宮城
中世の城主は、宇都宮氏です。
鎌倉幕府の有力な御家人として活躍した歴代城主の中には、小倉百人一首の成立にかかわった頼綱よりつな(蓮生れんしょう)、元寇に出陣した貞綱さだつななどがいます。

○近世の宇都宮城
500年にわたり城主であった宇都宮氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、江戸時代には譜代大名の居城となりました。
なかでも、徳川家康の側近であった本多正純ほんだまさずみは、城と城下町の大改造を行い、現在の宇都宮の街並みの原型をつくりました。
近世における最大の特徴は、「将軍の日光社参にっこうしゃさんにおける宿城」となったことです。
「日光社参」とは将軍による日光参詣のことですが、将軍と幕府の権威を全国に知らしめる重要な公式行事でした。
将軍が宿泊した城であったからこそ、「釣天井伝説」が創作されることになったのです。

○宇都宮城の焼失、そして復元へ
宇都宮城は、戊辰戦争ぼしんせんそうの際に、土方歳三ひじかたとしぞうらが率いる旧幕府軍に攻められ、建物の大半が焼失してしまいましたが、平成19年3月に、やぐらなどを復元し、公園としてよみがえりました。

(『宇都宮城址公園』リーフレットより)

宇都宮城址公園



宇都宮城址公園
(栃木県宇都宮市本丸町)





(平成20年7月19日)

 (説明板より)

ここは、近世宇都宮城の本丸があったところです。
宇都宮城址公園は、歴史資料や発掘調査結果に基づいた本丸の一部復元、中心市街地の活性化の拠点づくり、防災の拠点づくりを3つの柱として整備したもので、復元した土塁や堀、櫓、土塀は、江戸時代中期の姿を現代によみがえらせたものです。
宇都宮城のはじまりは、平安時代の後期に築かれた館やかただといわれています。
中世には宇都宮氏が500年にわたって城主をつとめ、戦乱の世を乗り切っていきます。
江戸時代には譜代大名の居城として威容を誇りました。
また、釣天井伝説の舞台、関東七名城の一つとしても有名です。
この城址公園は、宇都宮の新しいシンボルであり、次代を担う子どもたちに宇都宮の歴史を伝えるとともに、市民や多くの来訪者の憩いの場です。

(説明板より)


【訪問記】

名城といわれた宇都宮城が復元されたというので行ってみたら・・・・唖然・・・・
これを「お城を復元した」」と称していいものやら・・・・
土塁の真ん中にコンクリート製のトンネルを掘って入り口としている・・・・そんな馬鹿な・・・である。
どんな「歴史資料」を基に復元したのやら・・・・
正確に言うと、「お城を模した防災倉庫」が正しいのではなかろうか?
あまりのお粗末な「復元」に呆然・・・・
復元された日本中のお城の中で一番ひどい出来の「お城」(?)であると私は思う。
わざわざ見に行くほどのお城ではなかった・・・・大後悔・・・・


清明台せいめいだい

宇都宮城本丸の土塁北西部にあった櫓やぐらで、江戸時代の絵図には二階建て瓦葺かわらぶきで描かれており、広さ三間(5.9メートル)×三間半(6.9メートル)と記録されています。
清明台のあった部分の土塁は、ほかの部分よりも高く、天守閣の役割を果たしていたのではないかといわれています。

(説明板より)

富士見櫓

宇都宮城本丸の土塁南西部にあった櫓で、江戸時代の絵図には二階建て瓦葺きで描かれており、広さ三間(5.9メートル)×四間(7.9メートル)と記録されています。
富士見櫓の名のとおり、まわりに高い建物がなかった江戸時代には、遠く富士山の姿が望めたと考えられます。

(説明板より)

宇都宮城の主なできごと

11世紀
このころ宇都宮城がつくられる。
1189(文治5)年
源頼朝が奥州への進軍の途中、宇都宮に立ち寄る。
※このころ宇都宮頼綱(蓮生)、百人一首の成立にかかわる。
1341(興国2・歴応4)年
南朝方の軍勢が飛山城を占拠し、宇都宮城の北朝方と対立する。
1368(正平23・応安元)年
関東管領かんれい上杉憲顕、宇都宮城を攻撃する。
1380(天授6・康歴2)年
宇都宮基綱、裳原で小山義政と戦い戦死。
1423(応永30)年
宇都宮持綱、鎌倉公方くぼう足利持氏に攻められて敗れ、殺害される。
1455(享徳4)年
宇都宮等綱、古河公方足利成氏に敗れ、宇都宮開城。
1526(大永6)年
宇都宮忠綱、猿山で結城政朝と戦うが、その隙に叔父の芳賀興綱に宇都宮城を奪われる。
1539(天文8)年
結城政朝・小山高朝・宇都宮城下に進攻。
1549(天文18)年
宇都宮尚綱、那須高資と戦い、五月女坂で戦死。
宇都宮広綱、真岡に退去。
その後、壬生綱雄、宇都宮城を占拠。
1557(弘治3)年
宇都宮広綱、佐竹義昭の支援を得て宇都宮城に復帰。
1584(天正12)年〜1585(天正13)年
北条氏直、宇都宮城を攻撃。
※このころ、宇都宮国綱、多気山に本拠を移す。
1586(天正14)年
皆川広照・壬生義雄、宇都宮城を攻撃し、城下に放火。
1590(天正18)年
豊臣秀吉、宇都宮城に滞在し、宇都宮仕置しおきを行う。
1597(慶長2)年
宇都宮国綱、領地を没収される。
1598(慶長3)年
蒲生秀行が城主となり城と城下町の改修をおこなう。
1600(慶長5)年
徳川秀忠、宇都宮城に布陣し、中山道経由で関ヶ原に向かう。
1617(元和3)年
徳川秀忠、日光社参の際、宇都宮城に宿泊。
(最初の日光社参・以後幕末まで19回を数える)
1619(元和5)年
本多正純が城主となり城と城下町の大改造をおこなう。
1622(元和8)年
本多正純、領地を没収され出羽に流される。
1843(天保14)年
徳川家慶、日光社参の際、宇都宮城に宿泊。
(最後の日光社参)
1868(慶応4)年
戊辰戦争で城内の建築物が焼失。

(『宇都宮城』リーフレットより)

宇都宮城主の移り変わり
(平安時代から安土桃山時代の宇都宮城主)
時代 城主名 歿年・年齢 備考
平安 藤原 宗円そうえん 不明 前九年の役、宇都宮明神の社務職となる
藤原 宗綱むねつな 不明
鎌倉 宇都宮 朝綱ともつな 1204・82歳 源頼朝が奥州攻撃前に宇都宮明神を参拝
宇都宮 業綱なりつな 1192・27歳  
宇都宮 頼綱よりつな 1259・88歳 法名は蓮生、百人一首の成立に関係
宇都宮 泰綱やすつな 1261・59歳 鎌倉幕府の評定衆
宇都宮 景綱かげつな 1298・64歳 法名は蓮瑜れんゆ、弘安式条こうあんしきじょうを制定、引付衆
宇都宮 貞綱さだつな 1316・51歳 蒙古襲来に大将軍として出陣。鉄塔婆てつとうば建立
南北朝 宇都宮 公綱きんつな 1356・55歳 楠木正成との戦いで勇名をとどろかす
10 宇都宮 氏綱うじつな 1370・45歳 上野・越後の守護職となる
11 宇都宮 基綱もとつな 1380・31歳 小山義政と戦い裳原もばら(茂原)で戦死する
室町 12 宇都宮 満綱みちつな 1407・32歳 汗かき阿弥陀を鋳造する
13 宇都宮 持綱もちつな 1423・28歳 塩谷氏にはかられ討たれる
14 宇都宮 等綱ともつな 1460・41歳 鎌倉公方足利成氏に敗れ白河に逃れる
15 宇都宮 明綱あきつな 1463・21歳 鎌倉公方足利成氏に降伏し復帰する
戦国 16 宇都宮 正綱まさつな 1477・31歳 応仁の乱、上杉憲政と戦い病死する
17 宇都宮 成綱しげつな 1516・48歳 成高寺じょうこうじ、慈光寺じこうじを開く
18 宇都宮 忠綱ただつな 1527・31歳 猿山の合戦で結城政朝に敗れる
19 宇都宮 興綱おきつな 1536・61歳 結城政朝と組んで宇都宮城を占拠する
20 宇都宮 尚綱ひさつな 1546・37歳 那須高資との戦い(五月女坂)で戦死
安土桃山 21 宇都宮 広綱ひろつな 1576・32歳 多気山城築城、北条氏政・武田勝頼らを退ける
22 宇都宮 国綱くにつな 1607・40歳 秀吉に所領を没収される。宇都宮家滅亡

宇都宮城主の移り変わり
(江戸時代の宇都宮城主)
城主名 石高 転封前 就任 退任 転封後
23 浅野 長政ながまさ   1597 1598  
24 蒲生 秀行ひでゆき 18万 陸奥国会津 1598 1601 陸奥国会津
25 大河内金兵衛   1601 1601  
26 奥平 家昌いえまさ 10万 上野国小幡 1601 1614  
27 奥平 忠昌ただまさ 10万   1614 1619 下総国古河
28 本多 正純まさずみ 15.5万 下野国小山 1619 1622 改易
29 奥平 忠昌 11万 下総国古河 1622 1668  
30 奥平 昌能まさよし 11万   1668 1668 出羽国山形
31 松平 忠弘ただひろ 15万 出羽国山形 1668 1681 陸奥国白河
32 本多 忠泰ただひら 11万 陸奥白河 1681 1685 大和国郡山
33 奥平 昌章まさあき 10万 出羽国山形 1685 1695  
34 奥平 昌成まさしげ 9万   1695 1697 丹後国宮津
35 阿部 正邦まさくに 10万 丹後国宮津 1697 1710 備後国福山
36 戸田 忠真ただざね 7.78万 越後国高田 1710 1729  
37 戸田 忠余ただみ 7.78万   1729 1746  
38 戸田 忠盈ただみつ 7.78万   1746 1749 肥前国島原
39 松平 忠祗ただまさ 6.59万 肥前国島原 1749 1762  
40 松平 忠恕ただひろ 7.78万   1762 1774 肥前国島原
41 戸田 忠寛ただとお 7.78万 肥前国島原 1774 1798  
42 戸田 忠翰ただなか 7.78万   1798 1811  
43 戸田 忠延ただのぶ 7.78万   1811 1823  
44 戸田 忠温ただはる 7.78万   1823 1851  
45 戸田 忠明ただあき 7.78万   1851 1856  
46 戸田 忠恕ただゆき 7.78万   1856 1865
47 戸田 忠友ただとも 6.78万   1865 1871 廃藩置県

(宇都宮城址公園配布資料より)

<贈従三位戸田忠恕の碑




贈従三位ぞうじゅさんみ戸田忠恕とだただゆきの碑
(宇都宮城址公園・清明館脇)




(平成20年7月19日)

贈従三位ぞうじゅさんみ戸田忠恕とだただゆきの碑

宇都宮市指定有形文化財
(平成5年3月22日指定)
幅233cm 高さ430cm

戸田忠恕は、安政3年(1856)10歳で家督を継ぎ、宇都宮藩主となったが、幕末維新にあたって勤王の志深く、山陵さんりょう修復や戊辰戦争に力を尽くし、明治元年(1868)5月、わずか22歳で没した。
この碑は、明治30年(1898)特旨とくしを以て従三位が贈られた後、翌31年に旧藩士や有志が、忠恕の功績を不朽ふきゅうに伝えるため建てたもので、その波乱に富んだ生涯が、漢文体で碑前面に刻まれている。

 戸田忠恕肖像

(説明板より)


御橋



御橋
(栃木県宇都宮市中央5丁目)





(平成20年7月19日)

御橋みはし

ここには、釜川を渡るための橋が架けられ、御橋と呼ばれていました。
この橋は、宇都宮城主が大手門から二荒山神社に参拝するときに渡ったといわれ、元和5年(1619)、本多正純まさずみが大手門を江野町えのまちに移してからは、一般の人も渡れるようになったと伝えられています。

(説明板より)




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