(通称号:剣8703部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在地 |
福岡 | 明治19年 | 第12師団 | 台湾(新竹) |
日清・日露戦争、シベリア出兵に参加。
昭和7年の上海事変では、混成第24旅団に1個大隊を編入して出動。
(歩兵第14連隊、歩兵第46連隊、歩兵第48連隊からも各1個大隊を抽出)
昭和11年4月、第12師団は満州に派遣される。
連隊は興凱湖西部地域の警備を担当。
連隊本部、第2大隊、歩兵砲、通信の各隊は梨樹鎮に、第1大隊を綏芬河に、第3大隊を平陽鎮に展開した。
第12師団は満州事変の戦訓をもとに改善された当時最新鋭の装備である九二式重機関銃、平・曲両用の射撃が可能な九二式歩兵砲、九四式37ミリ速射砲等を持っていた。
満州東部の作戦地域のなかでも第1大隊の警備区域と隣接する東寧地区は、ソ連側でも日本軍の主攻正面との判断をして堅固な陣地を連ねていた。
連隊ではこのソ連軍陣地と対峙して国境線の警備につきながら、東北民衆反日連合軍や、その後成立した第一路軍、各種の抗日パルチザンとの戦闘を繰返した。
昭和19年11月、戦局の悪化に伴い第12師団は台湾に移駐。
連隊は新竹付近で警備につき、そのまま終戦を迎えた。
「大正5年大演習観兵式玉座御跡」の碑 (福岡県福岡市・福岡県護国神社) 歩兵第24聯隊・建立 (平成20年11月25日) |
末社 堀出稲荷神社 (福岡県福岡市・福岡県護国神社) (平成20年11月25日) |
由緒
大正年間福岡歩兵聯隊兵士の夢枕に立たれ「吾は祐徳稲荷の弟なり 永き年月埋められたままである 今こそ吾を掘り出し吾を祀れ」と御神託が下り その処から稲荷神の御神体が掘り出されました
その史実に基づいて掘出稲荷と命名されました
此の地に御遷座となったのは 昭和27年9月3日であります
(説明板より)
奉納・狛犬 (福岡県福岡市・福岡県護国神社) 奉献 平成3年4月吉日 (平成20年11月25日) |
碑文
福岡聯隊会
歩兵第24聯隊
歩兵第124聯隊
歩兵第226聯隊
歩兵第113聯隊
歩兵第187聯隊
歩兵第292聯隊
歩兵第359聯隊
歩兵第453聯隊
歩兵第517聯隊
歩兵第72聯隊第2大隊
独立歩兵第12聯隊
第312独立歩兵大隊
第314独立歩兵大隊
その他 福岡聯隊にて編成された各隊
一せん燈籠 (福岡県福岡市・筥崎宮) 紀元二千六百年 歩兵第二十四聯隊 陸軍中将 中村明人 謹書 (平成23年2月13日) |
歩兵第24連隊奉納の灯篭 (福岡県福岡市・筥崎宮はこざきぐう) (平成23年2月13日) |
満洲及上海事變戰病死者合同碑 (福岡県福岡市・谷公園) 第十二師團長 杉山 元 書 (平成23年9月13日) |
左から 日清戦役戰病歿者之墓 日露戰役戰病歿者之墓 青島及西比利亜戰役戰病歿者之墓 満洲及上海事變戰病歿者之墓 支那事變戰病歿者之墓 殉職将兵合葬之墓 大東亜戦争戦没者之碑 (福岡県福岡市・谷公園) (平成23年9月13日) |
「忠靈鎮護之地」碑 (福岡県福岡市・谷公園) (平成23年9月13日) |
碑文
聯隊将兵ノ醵金竝忠勇ナル五十七士ニ對スル福岡地方特志家ノ愛國的慰霊金ノ一部ヲ以テ建碑シ永遠ニ勇士ノ英霊ヲ弔フ
昭和七年九月三十日建之
歩兵第二十四聯隊長 中牟田辰六 識
由来碑 (福岡県福岡市・谷公園) (平成23年9月13日) |
福岡陸軍墓地の由来
明治19年、陸軍歩兵第24聯隊が福岡城(舞鶴城)に配置された。
陸軍省の所管であったこの丘には、日清戦役以降の戦病死者等の墓が建てられていた。
昭和10年、上村聯隊長が墓の改修統合を命じ、軍民一体となった協力で、那珂川町片縄から巨大な御影石が切り出された。
そして「日清」「日露」「青島・西比利亜」「殉職将兵」の墓が、昭和15年『皇紀2600年』に「満洲・上海」「支那事変」の2基が建立、計6基となった。
戦後昭和57年5月には「大東亜戦争碑」が建立、他に「ガダルカナル島」「ビルマ・雲南」「ドイツ軍人」等の墓碑がある。
(碑文より)
谷公園(旧・福岡陸軍墓地) (福岡県福岡市中央区谷2−11−28) (平成23年9月13日) |
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