第24駆逐隊


第24駆逐隊慰霊碑


第二十四駆逐隊 慰霊碑

江風・海風・山風・涼風
(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地





(平成20年11月23日)

第24駆逐隊戦没者慰霊顕彰碑文

第24駆逐隊(江風 海風 山風 涼風)は白露型駆逐艦として昭和12年建造され 水雷戦隊の新鋭駆逐隊として支那事変に活躍
大東亜戦争においては当初比島部隊の一隊として レガスピー タラカン バリックパパン ジャワ島攻略作戦に従事
赫々たる戦果をあげ 昭和17年6月に行われたミッドウェイ作戦には主力部隊として参加した
同年6月23日山風が輸送船団護衛の為分離行動中 房総半島沖において敵潜水艦と交戦中その雷撃により沈没
当隊にとって最初の犠牲となった
同年8月ガダルカナル島に敵来襲するや 南東方面部隊の増援部隊としてガダルカナル島争奪をめぐる死闘に従事
各艦20回におよぶ強行輸送 第二次 第三次ソロモン海戦 南太平洋海戦 ルンガ沖夜戦に活躍したが 優勢な敵兵力とレーダーを始めとする電波兵器には抗し難く我が軍はガダルカナル撤収の止むなきに至り 昭和18年2月他の駆逐艦20隻とともに3回に及ぶ撤収輸送により 1万数千人の将兵を救出した
続いて同年8月コロンバンガラ島増強輸送作戦中 クラ湾において敵艦隊と遭遇
雷撃により敵巡洋艦を撃沈したが 江風は同月6日敵艦隊と交戦中 ベララベラ島沖において沈没した
物量を誇る敵の攻勢が益々増強された19年 涼風は1月25日輸送船護衛中 ポナペ島沖において 海風はトラック島南方海面での作戦行動中の2月1日 いずれも敵潜水艦の雷撃により沈没
就役以来常に第一線において勇戦奮闘した第24駆逐隊はその一生を閉じたのである
この間浜中脩一山風艦長 柳瀬善雄江風艦長 山下正男涼風艦長外8百有余名の戦友が護国の鬼と化した
この碑は青春を国に捧げ 若くして戦いに殉じた勇敢な戦友の御霊を慰め併せて我が国の永遠の平和を祈願するため遺族並びに生き残りの戦友相い計り建立したものである

平成元年 秋
建立発起人代表 伊藤治義
第24駆逐隊 遺族生存者一同

第24駆逐隊戦没者慰霊碑

一等駆逐艦
白露型
江風(藤永田造船所)海風(舞鶴工廠)山風(浦賀造船所)涼風(浦賀造船所)ともに昭和12年にそれぞれ竣工した。

竣工後直ちに第1水雷戦隊第24駆逐隊を編成し支那事変に従軍。
大東亜戦争においては、比島部隊として、レガスピー、バリックパパン、ジャワ島方面の攻略作戦に従事。
昭和17年4月、平井司令統率のもと長崎から呉まで完成間近い戦艦武蔵を護衛後、6月5日のミッドウェー海戦では主力部隊の一隊として参加した。
その後、山風が油槽艦護衛のため分離行動中、6月23日房総半島沖において敵潜水艦と交戦中、雷撃により沈没。
浜中艦長以下280余名が戦死した。
昭和17年8月、ガダルカナル島方面に敵来襲するや、第2艦隊第2水雷戦隊の一隊として、ガダルカナル島争奪の死闘に参加。
「鼠輸送」と言われた緊急輸送にショートランドとガダルカナル島を往復すること各艦20回にも及ぶ。
第二次、第三次ソロモン海戦、南太平洋海戦、ルンガ沖夜戦に参加。
更には第3戦隊(戦艦榛名戦艦金剛)のガダルカナル島砲撃作戦にも参加する。
昭和18年2月、3回に亘るガダルカナル島撤収作戦においては1万数千名の将兵を救出した。
その後は3艦揃っての行動は少なく、トラック島を基地として、ナウル、コロンバンガラに敵を求めて東奔西走。
その間、7月6日のクラ湾夜戦において雷撃によって敵重巡洋艦を轟沈。
昭和18年8月6日、江風がコロンバンガラ島へ強行輸送中、ベラ湾において敵艦隊と交戦中、雷撃によって沈没した。
残された海風、涼風は敵機動部隊来攻に備え、ブラウン海域において連合艦隊主力直衛の任務につく。
昭和19年1月25日、涼風はナウル輸送従事後、ポナペ島北方海面において敵潜水艦の雷撃により沈没。
海風も2月1日、トラック島北方海面において敵潜水艦の雷撃により沈没する。
かくして大東亜戦争開戦以来2年有余、常に最前線に在り、勇戦奮闘、水雷戦隊の本領をいかんなく発揮し、敵の心胆を寒からしめた栄光ある第24駆逐隊の各艦は、ここにその生涯を閉じた。
碑は平成元年秋に建立。
艦と運命を共にされた、4人の艦長以下800有余柱の英霊を祀る。

(参考:社団法人 佐世保東山海軍墓地保存会発行 『佐世保東山海軍墓地 墓碑誌』 平成20年第3刷)


【白露型】

条約内の大きさで「吹雪」型と同等の戦力の発揮を目論んだ「初春」型が完成してみると、復元性などの基本性能に問題があることがわかったため、急遽設計を改めたのが本型である。
船体の大きさなどは基本的に同じものとされ、「初春」の改善工事による変更を最初から採り入れた形。
減少した魚雷の射線を少しでも確保するため、新たに4連装魚雷発射管が開発されて8射線となる。
この4連装魚雷発射管は、以後の駆逐艦、巡洋艦に搭載されて日本海軍の標準兵器となった。
「吹雪」型から「初春」型にかけて、主砲は対空射撃可能な仰角75度のものが採用されていたが、本型からは重量軽減の目的で最大仰角55度に抑えられ、対空射撃は考慮されなくなった。
機関は「初春」型と同じものが搭載されたため、速力は34ノットにとどまる。

【要目】
公試排水量:1980トン
機関出力:4万2000馬力
速力:34ノット
航続力:18ノットで4000海里
乗員数:226名
兵装:12.7cm連装砲×2
    12.7cm単装砲×1
    40mm単装機銃×2
    61cm4連装魚雷発射管×2

【同型艦】
白露(昭和11年8月20日竣工〜昭和19年6月15日戦没)
時雨(昭和11年9月7日竣工〜昭和20年1月24日戦没)
村雨(昭和12年1月7日竣工〜昭和18年3月5日戦没)
夕立(昭和12年1月7日竣工〜昭和17年11月13日戦没)
春雨(昭和12年8月26日竣工〜昭和19年6月8日戦没)
五月雨(昭和12年1月29日竣工〜昭和19年8月26日戦没)
海風(昭和12年5月31日竣工〜昭和19年2月1日戦没)
山風(昭和12年6月30日竣工〜昭和17年6月23日戦没)
江風(昭和12年4月30日竣工〜昭和18年8月6日戦没)
涼風(昭和12年8月31日竣工〜昭和19年1月25日戦没)


(参考:『歴史群像2006年2月号別冊付録 帝国海軍艦艇ガイド』)


開戦時の水雷戦隊編成表(昭和16年12月8日)
第1艦隊(戦艦部隊)    
   第1水雷戦隊  
   任務:ハワイ、インド洋作戦、機動部隊に入り空母の護衛
     軽巡・阿武隈(旗艦)  
     第6駆逐隊  雷、電、響、暁
     第17駆逐隊  浦風、磯風、谷風、浜風
     第21駆逐隊  初春、子ノ日、初霜若葉
     第27駆逐隊  有明、夕暮、白露、時雨
   第3水雷戦隊  
   任務:マレー・ジャワ西方の船団護衛(「吹雪」クラス・特型) 
     軽巡・川内(旗艦)  
     第11駆逐隊  吹雪、白雪、初雪
     第12駆逐隊  叢雲、東雲、白雲
     第19駆逐隊  磯波、浦波、敷波、綾波
     第20駆逐隊  天霧、朝霧、夕霧、狭霧
   
 第2艦隊(重巡部隊)   
   第2水雷戦隊  
   任務:フィリピン上陸の船団護衛・掩護(「陽炎」クラスの新鋭艦)  
     軽巡・神通(旗艦)  
     第8駆逐隊  朝潮、大潮、満潮、荒潮
     第15駆逐隊  黒潮、親潮、早潮、夏潮
     第16駆逐隊  初風、雪風、天津風、時津風
     第18駆逐隊  霞、霰、陽炎、不知火
   第4水雷戦隊  
   任務:フィリピン・ジャワ東方の船団護衛・掩護  
     軽巡・那珂(旗艦) 
     第2駆逐隊  村雨、夕立、春雨、五月雨
     第4駆逐隊  嵐、萩風、野分、舞風
     第9駆逐隊  朝雲、山雲、夏雲、峯雲
     第24駆逐隊  海風、山風、江風、涼風
   
 第3艦隊(封鎖・輸送部隊)   
   第5水雷戦隊  
   任務:フィリピン・ジャワ西方の船団護衛・掩護  
     軽巡・名取(旗艦)  
     第5駆逐隊  朝風、春風、松風、旗風
     第22駆逐隊  皐月、水無月、文月、長月
   
 第4艦隊(内南洋部隊)   
   第6水雷戦隊  
   任務:内南洋ウェーク島上陸の援護  
     軽巡・夕張(旗艦)  
     第29駆逐隊  追風、疾風、朝凪、夕凪
     第30駆逐隊  睦月、如月、弥生、望月

(参考: 木俣滋郎 著 『駆逐艦入門』 光人社NF文庫 1998年発行)

(令和元年11月4日 追記


ガダルカナル島輸送作戦




左:ガダルカナル島
右:サボ島




(平成22年11月19日)

第1次輸送

昭和17年11月16日、連合艦隊司令部では、ガ島への各種輸送手段を研究し、ドラム缶に入れて輸送する方法を実験した。
その方法は、ドラム缶に米麦を約半量入れ、そのドラム缶を索でつなぎ、駆逐艦の上甲板に固縛し、駆逐艦入泊時にこれを解いて海中に投入し、陸上から収容するというもの。
1本の索に240〜200個のドラム缶を連結することとした。

第24駆逐隊は11月26日頃、ラバウルでドラム缶を搭載してショートランドに進出し、ガ島にドラム缶輸送を行うこととなった。
警戒隊は第2水雷戦隊司令官指揮の第31駆逐隊(「高波」「長波」)(「巻波」は欠)で、糧食輸送中の敵の奇襲を警戒する。
第1輸送隊は第15駆逐隊司令が指揮し、第15駆逐隊(「親潮」「黒潮」「陽炎」)と第31駆逐隊の「巻波」で、ドラム缶240個をタサファロングに輸送。
第2輸送隊は第24駆逐隊司令が指揮し、第24駆逐隊(「江風」「涼風」)(「海風」は欠)がドラム缶200個をセギロウに輸送。
11月30日、増援部隊はショートランドを出撃した。
午後7時40分、インディスペンサブル海峡に入り、サボ島を視認。
午後8時、「高波」が前路警戒のため先行する。
輸送隊はガダルカナル島・エスペランス岬にかかり、各隊ごとにタサファロング、セギロウに進入を開始。
その直後、「高波」および「黒潮」から「敵艦影見ゆ」の知らせ。
午後9時15分、「高波」から「敵駆逐艦7隻見ゆ」の知らせあり、午後9時16分、揚陸を断念し、各艦はドラム缶を海中に投棄して全軍突撃した。
「江風」「涼風」「親潮」らが魚雷を発射して敵艦を轟沈あるいは火災を起こさせたが「高波」は敵の集中砲火を浴び、午後11時37分、サボ島南で沈没。
ガ島に泳ぎついた「高波」の乗組員は、准士官以上4名、下士官兵29名に過ぎなかった。

第2次輸送

第2次輸送隊は第15駆逐隊(「親潮」「黒潮」「陽炎」)、第31駆逐隊(「長波」「巻波」)、第24駆逐隊(「江風」「涼風」)、第4駆逐隊(「嵐」「野分」「夕暮」)の駆逐艦10隻(うち2隻が警戒隊)。
12月3日午前11時、ドラム缶を搭載してショートランドを出発。
午後4時ごろ、敵機と交戦。
午後10時15分、タサファロングに到着、ドラム缶1500個を投入し、午後11時作業終了。
12月4日午前9時、ショートランドに帰投し第2次輸送は成功した。
しかし、陸軍からの通知によれば、揚陸し得たドラム缶は約310個で、夜間に収容できなかったものの大部分は、翌日の敵機の銃爆により沈没したという。

第3次輸送

第15駆逐隊司令の指揮の下、第15駆逐隊(「親潮」「黒潮」「陽炎」)、「長波」、第24駆逐隊(「江風」「涼風」)、第4駆逐隊(「嵐」「野分」)、第17駆逐隊(「浦風」「谷風」)、「有明」の駆逐艦11隻が、12月7日午前11時、ショートランドを出発。
午後4時40分、敵戦爆16機が来襲、上空警戒に当たっていた12機の味方戦闘機と共にこれと交戦し、敵機3機を撃墜。
しかし、「野分」が至近弾により航行不能、「嵐」が小破した。
よって、「長波」が「野分」を曳航、「嵐」は「有明」の護衛の下にショートランドに引き返した。
残りの7隻はガ島に向かったが、午後9時30分から55分の間、サボ島南西海面において敵魚雷艇8隻の襲撃を受ける。
更に午後10時30分、再び魚雷艇および敵機の妨害を受けたため、揚陸を断念。
12月8日午前9時、ショートランドに帰着した。

第4次輸送

警戒隊は第2水雷戦隊司令官が指揮し、第4駆逐隊(「嵐」「長波」「照月」)、第24駆逐隊(「江風」「涼風」)の5隻。
輸送隊は第15駆逐隊司令が指揮し、第15駆逐隊(「親潮」「黒潮」「陽炎」)、第17駆逐隊(「谷風」「浦風」「有明」)の6隻。
12月11日、午後1時30分、ショートランドを出発しエスペランス岬を目指す。
上空警戒機は零戦9機。
午後4時40分ごろ、上空警戒機が基地に帰投。
まもなく敵戦闘機6機、艦爆20機の襲撃を受ける。
約20分の対空戦、わが艦隊に損害なく、戦果は敵機2機を撃墜。
午後10時45分、敵魚雷艇の襲撃。
「江風」「涼風」が敵魚雷艇と交戦。
輸送部隊は1200個のドラム缶を投入したが、ガ島陸軍の手に入ったものは220個に過ぎなかった。
戦果は敵魚雷艇撃沈3隻、大破1隻、飛行機撃墜3機。
我が方の損害は「照月」沈没、「野分」大破、「親潮」「黒潮」小破。

(参考:高戸顕隆 著 『海軍主計大尉の太平洋戦争』 光人社NF文庫 1999年3月発行)

(平成29年4月29日 追記)




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