【騎兵第3旅団】
騎兵第23連隊
騎兵第24連隊
日露戦争後に設立。
岩手県盛岡に設置され、東北健児と東北地方の産馬をもって編成。
歴代の旅団長には後に大将になった名将の多かったことを名誉とし誇りとしている。
創立・軍旗拝受
明治40年、創設に着手。
明治42年、編成完了。
同年9月22日、隷下の騎兵第23連隊、騎兵第24連隊に軍旗が授与された。
兵営
旅団司令部並びに両連隊の兵営は盛岡市の西北に並んで設置された。
目の前に観武ヶ原練兵場、北方に一本木原演習場を控える。
編制の変遷
旅団は旅団司令部、騎兵第23連隊、騎兵第24連隊から成る。
平時は第8師団に属し、騎兵第8連隊をその隷下に加えられていた。
大正8年、騎兵第23連隊に機関銃隊を設置。
大正12年の軍備整理により、両連隊は1中隊を減らし各4個中隊となった。
昭和10年の満州への出動にあたり、旅団機関銃隊、旅団騎砲兵中隊、旅団装甲車中隊を編入され、参謀1名を附せられた。
昭和12年10月、駐屯地である三江省にあったままハイラルの騎兵集団長の隷下に編入されたが、翌13年6月、騎兵集団が動員されて出動されるに及びその隷下から離れて独立した。
昭和20年2月、解隊。
隷下の連隊は独立歩兵大隊その他の部隊に改編された。
(参考:佐久間亮三編纂 『日本騎兵史(下巻)』 萌黄会 昭和38年発行)
騎兵第3旅団歴代旅団長 (岩手県盛岡市・岩手護国神社) (平成21年11月4日) |
騎兵第3旅団歴代旅団長 | ||
(初代)本多道純 騎兵第3旅団長 (士官生徒5期) 東京都出身 (明42.4.1〜明44.6.15) 第1旅団長 騎兵16連隊長 騎兵4連隊長 |
(2代)河村秀一 (士官生徒8期) 愛知県出身 (明44.6.15〜大3.8.7) 騎10連隊長 |
(3代)鈴木荘六 士官候補生1期 新潟県出身 1騎出身(4騎出) (大3.8.8〜大5.5.1) 5師団長 参謀総長 |
(4代)中山民三郎 1期 静岡県出身 1騎出身 (大5.5.2〜大7.7.23) 騎兵15連隊長 騎兵26連隊長 騎兵3旅団長 |
(5代)植野徳太郎 3期 4騎出身 和歌山県出身 (大7.7.24〜大8.3.17) 騎兵22連隊長 騎兵3連隊長 |
(6代)中島 操 3期 1騎出身 佐賀県出身 (大8.3.18〜大8.7.24) 騎5連隊長 騎20連隊長 |
(7代)奥野幸吉 4期 兵庫県出身 4騎 (大8.7.25〜大10.1.19) 騎兵22連隊長 騎兵6連隊長 騎兵16連隊長 |
(8代)南 次郎 6期 大分県出身 6騎 (大10.1.20〜大11.2.7) 騎兵13連隊長 16師団長 参謀次長 騎兵監 大将 |
(9代)田中國重 4期 鹿児島県出身 近衛 (大11.2.8〜大11.8.14) 騎兵16連隊長 15師団長 近衛師団長 台湾軍司令官 |
(10代)鈴木文次郎 8期 東京出身 近騎 (大11.8.15〜大13.2.3) 騎兵25連隊長 騎兵16連隊長 |
(11代)植田謙吉 10期 大阪出身 1騎出身 (大13.2.4〜大14.4.29) 騎兵1連隊長 騎兵12連隊長 関東軍司令官 大将 |
(12代)吉田源次郎 11期 山口県出身 5騎出身 (大14.5.1〜昭2.7.25) 騎兵2連隊長 |
(13代)蒲 穆 12期出 (藤井) 福井県出身 (昭2.7.26〜昭3.3.7) 騎兵5連隊長 中将 |
(14代)森 寿 11期出 (藤井) 山口県出身 (昭3.3.8〜昭4.6.30) 騎兵26連隊長 師団長 中将 |
(15代)石川亀彦 12期 佐賀県出身 1騎出身 (昭4.7.1〜昭6.3.10) 騎兵2連隊長 騎兵4連隊長 |
(16代)宇佐美興屋 14期 東京出身 11騎出 (士官候補生) 7騎出 (昭6.3.11〜昭7.4.10) 騎兵13連隊長 騎兵集団長 師団長 中将 |
(17代)市瀬源助 13期 長野県出身 9騎出身 (昭7.4.11〜昭8.3.17) 近衛騎兵連隊長 騎兵学校長 中将 |
(18代)飯田貞固 17期 新潟県出身 近騎出 (昭8.3.18〜昭9.7.31) 近衛騎兵連隊長 騎兵学校長 軍司令官 師団長 中将 |
(19代)鎌田正信 15期 徳島県出身 6騎出身 (昭9.8.1〜昭11.7.30) 騎兵6連隊長 騎兵25連隊長 |
(20代)石田保秀 20期 石川県出身 5騎出身 (昭11.8.1〜昭12.8.1) 騎兵24連隊長 騎兵学校長 中将 |
(21代)和田義雄 21期 長野県出身 14騎出身 (昭12.8.2〜昭13.7.14) 騎兵5連隊長 中将 |
(22代)馬場正郎 24期 熊本県出身 5騎出 (昭13.7.15〜昭14.7.30) 騎兵24連隊長 騎兵第4旅団長 騎兵集団長 |
(23代)木下 勇 26期 福井県出身 14騎出 (昭14.8.1〜昭16.2.29) 騎兵15連隊長 航空師団長 |
(24代)片岡 薫 27期出 兵庫県出身 4騎出 (昭16.3.1〜昭18.2.22) 近衛騎兵連隊長 第1師団長 中将 |
(25代)田島彦太郎 27期 岩手県出身 7騎出 (昭18.2.23〜昭19.7.30) 騎兵9連隊長 |
(26代)桑田貞三 23期 広島県出身 5騎出身 騎3旅―135D (昭19.8.1〜昭20.3)改編 騎兵10連隊長 近衛騎兵連隊長 |
【騎兵第3旅団の解隊】
騎兵第3旅団は、昭和16年、騎兵の機甲兵への転換に伴ない、参謀本部、陸軍省等の当局において、その解隊を主張するものがあったのに対し、時の陸軍省軍事課長であった西浦進大佐が、「同旅団は満洲における唯一の騎兵旅団であるから存置したほうがよい」と反対して幸いに存置されたのであるが、昭和20年2月、遂に解隊された。
【騎兵第3旅団最後の状況】
騎兵第3旅団は昭和10年以来、満州に於いて最も治安の良くなかった北満の三江省で治安警備に任じていた。
昭和16年、関特演以来、旅団はその主力をケ佳木斯より東部国境近くに移し、主として対ソ警備に任じる。
昭和19年2月、騎兵第23連隊長は特に軍命令により特別任務を受け、軍直轄の特殊部隊長を兼任した。
旅団長は桑田貞三少将、騎兵第23連隊長は安東貞雄大佐、騎兵第24連隊長は西岡延次大佐であった。
特殊部隊とは、当初軍内の各部隊より選別した各1個小隊を集成して合計12個小隊をもって編成し、対ソ作戦となるや広正面にわたってウスリー河を渡河して敵の後方深く潜入し、ビギン、、イマン、ハバロフスク附近の要地の施設を破壊することを目的として訓練した部隊で、逐次兵力を増加されて後には60個小隊となった。
固有の部下騎兵連隊も同隊と共に敵の後方に突入することを期して鋭意猛訓練を行なっていたが、図らずも昭和20年2月、突如旅団は解隊され、また、その後の経過上特殊工作の実行は見なかった。
(参考:佐久間亮三編纂 『日本騎兵史(下巻)』 萌黄会 昭和38年発行)
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