第5師団

(鯉兵団)


主な隷下部隊(終戦時)

歩兵第11連隊
歩兵第21連隊
歩兵第42連隊
野砲兵第5連隊
捜索第5連隊
工兵第5連隊
輜重兵第5連隊


第5師団司令部(広島城・二の丸御門)

陸軍5師団兵営跡 (爆心地から400〜1,200メートル)

広島城天守閣を取り囲むように並んでいた司令部やアック部隊の木造2階建兵舎など すべての建物は 1945年(昭和20)8月6日 原爆により瞬時に崩壊し
火炎に包まれて灰燼に帰した
倒壊した建物の廃材が散乱した中に 兵士や軍馬が投げ出され 司令部をはじめ 歩兵・砲兵・輜重隊の約1万人の兵士が死傷した

(説明板より)

広島大本営跡



第5師団司令部跡
(広島大本営跡)
(広島城本丸・上段)




(平成22年5月1日)

広島大本営跡

明治27年(1894)8月に日清両国に戦端が開かれたのち、それまでに山陽鉄道が開通していたことや宇品港を擁するといった諸条件により、同年9月広島市に大本営が移されることとなり、広島城内にあった第五師団司令部の建物が明治天皇の行在所あんざいしょとされ、ここに大本営が設けられた。
明治天皇の広島滞在は、同年9月15日から翌年の4月27日までの7か月あまりに及んだ。
その後、建物は広島大本営跡として保存されたが、原爆により倒壊し、今は基礎石のみ残されている。

(説明板より)

昭憲皇太后御座所跡



第5師団監督部庁舎跡
昭憲皇太后御座所跡)
(広島城本丸・上段)




(平成22年5月1日)

昭憲しょうけん皇太后御座所跡

明治天皇の后きさきである昭憲皇太后が、日清戦争の折に滞在した建物の跡です。
大本営跡から西側に少し離れた場所にあります。
もともとは、第五師団監督部庁舎として明治23年(1890)に建てられたものです。

(参考:財団法人広島市文化財団広島城 編集『広島城総合案内』 平成20年6月発行 広島市市民局文化スポーツ部文化財課 発行)


広島中津宮




広島中津宮
(広島市中区基町)





(平成22年5月1日)

由緒

御祭神 市杵島姫命 大國主命 八■比古命

室町時代の末期、当地の豪商中津某が築前宗像大社から勧請したのに起源すると伝えられる。
天正17年(1589年)毛利輝元公の広島築城に祭し城郭の西の守護神として鎮祭された。
廃藩後は第5師団の小姓町倉庫の一角に祠として祀られていたが、時の師団長二宮治重中将が霊夢に中津宮のお告げを受け、昭和10年広島招魂社の北側に社殿を建立祭祀した。
昭和20年8月6日原子爆弾により社殿を失ない仮の小祠により祭祀を続ける。
昭和32年崇敬者川本福一氏等の奉賛により此の地に社殿を造営し、同33年宗教法人法による神社として登記され現在にいたっている

昭和56年7月
広島中津宮

(説明板より)


【第5師団長】

明治21.5.14 野津 道貫 中将  
明治27.11.29 奥 保鞏 中将  
明治29.10.14 山口 素臣 中将  
明治37.3.17 上田 有沢 中将  
明治37.11.2 木越 安綱 中将  
明治42.9.3 大谷喜久蔵 中将  
大正4.5.24 小原 伝 中将  
大正6.8.6 福田雅太郎 中将  
大正7・10.10 山田 隆一 中将  
大正8.3.18 鈴木 荘六 中将 (陸士1期)
大正10.6.15 山田 隆槌 中将 (陸士1期)
大正12.8.6 岸本鹿太郎 中将 (陸士5期)
大正15.7,28 牧 達之 中将 (陸士5期)
昭和3.8.10 原口初太郎 中将 (陸士8期)
昭和5.8.1 寺内 寿一 中将 (陸士11期)
昭和7.1.9 二宮 治重 中将 (陸士12期)
昭和9.3.5 小磯 国昭 中将 (陸士12期)
昭和10.12.2 林 桂 中将 (陸士13期)
昭和12.3.1 板垣征四郎 中将 (陸士16期)
昭和13.5.25 安藤 利吉 中将 (陸士16期)
昭和13.11.9 今村 均 中将 (陸士19期)
昭和15.3.9 中村 明人 中将 (陸士22期)
昭和15.10.15 松井太久郎 中将 (陸士22期)
昭和17.5.11 山本 務 中将 (陸士24期)
昭和19.10.2 山田 清一 中将 (陸士26期) 終戦時『橘丸事件』の責任を取って自決
昭和20.8.15 小堀 金城 少将 (陸士27期) 師団長自決により師団長代理

(参考:『日本陸海軍総合辞典』 秦郁彦・編 東京大学出版会 1991年初版)・他


【昭和7年・秋季特別大演習】 

昭和7年11月9日から13日にわたる5日間、関西地方で天皇統監の秋季特別大演習が行われた。
名古屋第3師団(師団長:若山善太郎中将)、大阪第4師団(師団長:寺内寿一中将)、広島第5師団(師団長:二宮治重中将)を中心に南北両軍にわけ、南軍総司令官に軍事参議官・本庄繁大将(前・関東軍司令官)、北軍総司令官に軍事参議官・南次郎大将(前・陸相)が就任して、南北激突の大演習が開始され、最終日に雨中における天皇の観兵式親閲で終了した。
この時の演習は、前年の9月に勃発した満州事変の影響もあって、壮烈な大演習で、各地の連隊からも将校が多く見学している。

(参考:芦澤紀之 著 『暁の戒厳令〜安藤大尉とその死〜』 芙蓉書房 昭和50年 第1刷)

(平成29年9月8日 追記)




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